カテゴリ:音楽( 48 )

最近のCDあれこれ

今年に入って入手したCDというのは、レコードを含めると何枚くらいになるだろう?
今まで数えた事はないのだけれど、一度数えて見た。
しかし、分らない。
昔ならばカウントするのも簡単だったはずである。
100枚や200枚購入していても、これは今年購入、などと区別が出来たはずである。
ちゃんと当時はリアルタイムで新作を聴いていたし、昔の復刻盤を購入する機会も少なかったからね。

↓初公開小生のCDラック。スライド式です。CDケースは特殊盤以外ソフトケースに入れ替え。
 容量は3倍になります(笑)。1列に120枚ほど入ってると思われます。
 A~Zまで仕切りをつけてます(笑)。
 正式には数えたことないですがこのラックだけなら4千枚ほど?(笑)
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しかし、最近はめっきり純粋な新作を聴く機会は少なくなった。
小生にとって魅力的な新作が少なくなった、という事なのかも知れないし、小生が知らないだけなのかもしれない。
知らないだけで、優れた作品だっていっぱいあるのだろう、きっと。
知らない間に名作が発売されていて、それを小生は聴かずに終わってしまっている事だってあるだろう。

とは言っても、新作が発表されたらずっと聞き続けているアーティストというのもある。
代表的なもので言うと、言うまでもなくポール・マッカートニーもそうだし、ニック・ロウ、エルヴィス・コステロ、そしてロン・セクスミスもそうである。レイ・デイヴィスだってそう。キンクスはもう新作をださないのだろうか?
そして、aikoとニール・ヤングも聴き続けている。

60年代、70年代から80年代にかけて活躍したミュージシャンで、その当時の作品を聴いていた人のレコードというのは殆ど新作が出ると聴いているな。
結局、小生の「90年代デビュー」の人への感度が低いのね。
そういう意味ではaikoは珍しい。しかも邦楽である。小生を知る人からすると、やはり意外なんだろうね。
昔から小生のことを知っている人は「あ、やっぱり好きだろうね」っていうだろうけど(笑)。

という訳で、最近入手した2枚のアルバムを。
他にも色々入手しているのだけど、今日はこの2枚で許してね(笑)
最近、ブログのために準備していたものが堪ったので、今日はこの2枚を、




★aiko「時のシルエット」
小生が彼女のアルバムを書くのは意外と思う人が多いと思われる。
しかし、小生はデビュー前のインディーズ時代から聴いていた。
90年代の邦楽に疎い小生がなぜ彼女のアルバムを聴いて来たのか、勿論理由はあります。
しかし、ここでは書けません(笑)。

↓初回限定のジャケ。
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彼女のアルバム発表の間隔が2年3ヶ月も空いたのは初めてだそうである。
前作「BABY」がかなりロック色の強いもので、今までのaikoファンの間では賛否両論があったようである。
新しいことをしようとすると、今までの方が良いと言う。
同じ路線で進んでいると、マンネリ化とか言う。
ファンなんて勝手なのね。
そんなん、ほっとけaiko(笑)。
しかし、今回は概ね大歓迎で迎えられるのではないか、と思われる。本来のaiko節なのね、結局。
評判も良いみたい。
ちゃんといつもの「初回盤のお遊び」も健在だし。
↓CDのトレイを外してバックトレイを下からめくると、あら不思議。
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1年ほど前に2枚のベストアルバムを発表しての新作だから、とにかく活動にひと段落を付けたかったのだろう。本来の「メロディの良さ」に磨きがかかったように思える。

彼女のアルバムから聞こえてくるのは「頑固さ」なのであって、自分の信念は基本的に曲げない。
その辺りが他の日本のミュージシャンよりも一歩抜きん出ていて、洋楽を聴くファンからも支持される要因だと思われる。特に60年代、70年代あたりのポップス、ロックを好きなファンは彼女の音楽性を高く評価しているのである。つまり、そういうことだろう。
 
椎名林檎とは友人だそうだけれど、しょっちゅう音楽のことで喧嘩するらしい。
しかし、翌日には仲直りしているそうなのだけれど。
この二人は、意外とロックファンからの支持がある。
なぜか、それは頑固者だからだろうね、きっと(笑)
 
あまり知られていないのだけれど、彼女のアルバムのプロデュースは自分で手がけている。
自分の作品は自分で片を付けたい。落とし前を付けたい。
それはミュージシャンにとって当たり前のことであって、ちゃんと責任を自分で取る勇気があるのである、そのあたり、ある意味男らしいミュージシャンである。

曲の配列もそうだけれど、商品自体に色々隠しオマケをつけて遊んでいるあたり、古い音楽ファンに受ける要因なのね。音楽は形はないけれど、ちゃんと商品としてはファンとして持っていたい。
そのあたり、aikoに遊ばれているのね、ファンは。
でもファンはその遊ばれるのを望んでいるのだから、それでいいのである。

このアルバムもスタートはミディアムテンポの「Aka」であって、このスタートはザ・バンドの 「ミュージック・フロム ザ・ピンク」の「ティアーズ・オブ・エイジ」を彷彿させる。
今の日本のミュージシャンのアルバムって、1曲目からアップテンポが多いのだけれど、そのあたり、aikoはよく理解しているのである。
前にも書いたけれど、5枚目の「夢の中のまっすぐな道」のオープニングも「青い光」もそうだったな。全盛期のアーティストが、こういう風にアルバムをスタートさせるのは非常に勇気がいるのであって、そのあたりアッケラカンと実現してしまうのも彼女の凄いところである。
 
しかし、小生が一番気になっているのが、番組とか映画とかCMとかのタイアップ曲が多い事であ る。今回も6曲がそれに当って、アルバムは13曲なので実質的に7曲が純粋な新曲と言うことになる。
小生は基本、彼女のシングルまでは聴いていない(シングル「三国駅」まではちゃんと聴いてたんだけどね)から純粋に全てが新曲なのだけれど、これでいいのか、と思ってしまったりする。
長い期間かけて7曲を録音するのだから、アルバムの完成度も高くなる、ということなのだろう。

↓アルバムのCM。2種類あります(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=Tal69Ps3OYI
http://www.youtube.com/watch?v=lrA3quymfjg&feature=relmfu

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★「Amricana」 NEIL YOUNG with CRAZY HORSE
ニールヤングが2000年代に入ってから発表したアルバムというのは、なにかの冗談かと思ってしまう。音はいつものニール・ヤングなのである。しかし、作品にニール・ヤングらしさが見えない。
自分の国を批判する作品もニールらしくていいだろう。
しかし、ずっとそれが続くとね。
小生はニールに「自分の人生と照らし合わせたロック」を歌ってほしい。
あの奇跡の「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」のような。
どちらかと言うと、2000年代に入ってからのニールは、「過去の清算」だと思っている。 

↓新作「AMERICANA」
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彼のアルバムは、新作が出ると必ず聴いている。89年の「フリーダム」以降は全て聴いていると思われる。
90年代初期にはクレイジー・ホースとガンガンのギター・ノイズ・ミュージックを展開したかと思うと、「ハーヴェスト・ムーン」のように、昔の仲間を集めて、20年前の自分の作品を振り返った作品で昔を懐かしんだり。
この人の作品は、ひと縄筋ではいかない。
出る作品出る作品が、都度違うのであって、聞き手も予想が出来ない。
恐らく本人も予想できないのだろう。
とにかくじっくり作品を作ったかと思うと、いきなり1年ほどの短いインターバルで予想もしなかった荒々しいアルバムを出したりする。それがニール・ヤングなのである。
こちらも重々承知しているのだかれど。だけど、しかし・・・。
 
今回は、全てカヴァー曲であって内容も1800年代をはじめ、全てアメリカで歌い継がれてきた歌を
歌っている。「オー・スザンナ」なんかもやっているし、締めくくりは「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」である。

↓アルバムの内容を記しているジャケット貼付のシール
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しかも、今回は久々にクレイジー・ホースとの競演であって、聴く前からある程度音の方は
予測できたのだけれど、久々に興奮した。
恐らくアメリカで昔から伝わる民謡的な曲を、メンバーを集めて、延々とスタジオでかき鳴らし続けたのだろう。アルバム全体も非常に荒々しくて、編集も最低限だと思われる。
ミストーンから何から、ほぼカットせずに収録しているのがニールらしい。
リハビリの56分間である。

↓輸入盤にしては?豪華なブックレット。ちゃんと歌詞カード(勿論英詩)つき。
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しかし、このアルバムを聴いて興奮すると言うことは、やはり最近のニールの作品は精彩を欠いているということなのかもしれない。作品が綺麗過ぎたのだ、最近のニールは。最近、自分の作品をアーカイヴして再発売したりして、自分の足元をもう一度見直したのかもしれない。
本当は彼のオリジナルが聴きたいけれど、今のニールにとってはこれがリハビリになるのかもしれない。 長いことミュージシャンを続けていると、こういうこともあるのだろう。
しかし、ニールは一生聴き続けて生きたいミュージシャンの1人である。

↓アルバム「Americana」なんと全曲聴けます(笑)!
http://www.youtube.com/watch?v=3_71FA0V-P0
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by hirowilbury | 2012-06-25 19:21 | 音楽

昔からカヴァーアルバムって言うのが好きで、有名な曲を有名な歌手が歌ったりするとつい買ってしまったりする。黄金のヒット曲を、プロで百戦錬磨の歌手が歌うのだから、悪いわけがないのであって、しかも、なんか、すごく偉い感じがするから好きなのである。
「歌手〇〇、ゴールデンヒッツを歌う!」みたいな感じで、強そうな感じがするじゃないか。
小生は「グレイテスト・ヒッツ」なんてタイトルのアルバムを見つけてしまうと、思わず感嘆してやぱり聴きたくなってしまう。恐らくシングル盤を聴いて育った世代だからだろう、きっと。

友人にそういう話をしたことがあって、それを覚えてくれていたのだろう、昔CDをプレゼントされたことがある。
なんとそれは由紀さおりが歌う童謡歌集だったのだけれどね(笑)。

最近は昔の曲をアルバムでフルカヴァーするアーティストが多くなったような気がする。
しかも、「ヒット曲」中心ではなくて、「隠れた名曲」というのをカヴァーするのだな、最近これが。ロッド・スチュワートはソング・ブックと題して何枚もカヴァー曲ばかり集めて歌ったアルバムを出したりもしている。ポール・マッカートニーでさえヴォーカル・ジャズをカヴァーしたアルバムを出したりした。
あ、トータス松本がサム・クックのアルバム「ツイスティン・ナイト・ザ・ウェイ」を丸々カヴァーしたアルバムってのもあったな、最近。

つまり、もう音楽、曲を作るにもネタが切れてしまったのだろうか、と思ったりしてしまう。
名曲ばかりを歌っているのだから、アルバムの出来もそれぞれが素晴らしいのだけれど。
しかし、ロッドはあれでいいと思うのだけれど、ポール・マッカートニーにはちゃんとオリジナルで埋め尽くしたアルバムを出していただきたい。今回あれで一休みしたのだから、世界をあっと言わせるような名作を、あの「ワンダー・ラスト」や「バンド・オン・ザ・ラン」のような、聴いているこちらが笛や太鼓をもって走り回りたくなるような名作をもう一回作っていただきたい。

ルーマーのセカンド・アルバム「BOYS DON'T CRY」が発売された。

↓古きよき時代を思わせるジャケットも良い。
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彼女はパキスタン生まれながらイギリスでデビューした、遅咲きのシンガー・ソングライターである。聴いているとカレン・カーペンターみたいな歌声に、うっとりしてしまう。
リタ・クーリッジみたいに聞こえる時もあって、非常に美しい。

1stアルバム「Seasons of My Soul」 は2010年の発売なので、2年ぶりの新作ということになる。
基本、オリジナルで固めた前作と違って、今回は全てカヴァー曲である。
前にも書いたことがあるのだけれど、よく出来たデビューアルバムというのは、アマチュア時代のストックされた曲なんかがあったり、初々しいそのアーティストの生の感覚があるので、ダイアモンドの原石みたいにピカピカに輝いている。
だからファンは支持する。大いに支持する。
しかし、セカンドになると世間の期待も大きくなってしまって、自身のプレッシャーもあるのだろう、ファーストに比べてこじんまりしたものになってしまうことが多い。
結局その後泣かず飛ばず、というミュージシャンを幾つも見てきた。

今回、ルーマーのアルバムは全てカヴァー曲である。
一度自分の足元を見直して、もう一度自分の好きな歌を歌う、という原点に戻ったのだろう。
ジミー・ウェッブ、トッド・ラングレン、ポール・ウィルアムズ、ホール&オーツなんかもある。
ギルバート・オサリバンもやってたりする。
更に、ニール・ヤングもあったりする。ニール・ヤングのカヴァー「ア・マン・ニーズ・ア・メイド」は美しい。

↓オリジナルアーティストのアルバムジャケをインナーに掲載。
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そのあたり、10代や20代前半でデビューしたアーティストと違って、アマチュアを10年経験して、31歳でデビューした下積み時代の経験が生きたのだろう。自分の足元をしっかり見ることが出来るアーティストなのだろう、きっと。
バート・バカラックが絶賛した歌声も相変わらず健在であって、聴いていて惚れ惚れしてしまう。
全てが男性歌手のカヴァーというのも、彼女自身の歌唱力の自身の表れのようにも思える。

↓レオン・ラッセル、ニール・ヤングのカヴァーも美しい
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↓アルバムからホール&オーツのカヴァーを(PCのみ試聴可?)
http://www.youtube.com/watch?v=ddYZ33vN4h4&feature=related

↓1stシングル「P.F.SLOAN」ジミーウェッブのカヴァーですね(PCのみ試聴可)
http://www.youtube.com/watch?v=ZZApRNG5P-w

非常に完成度が高いアルバムであるけれど、彼女にとっては次作へのプロセスに過ぎない。
恐らく、近いうちに彼女が歴史的名盤を生み出すのもそう遠い先ではないな、きっと。
このアルバム、内容は小生が保証する。
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by hirowilbury | 2012-06-11 20:10 | 音楽

名作や傑作を残して、有名な歌手や作家が亡くなって、しかし遺作となった作品はその後も色々と影響を与え続けて引き継がれて行って、語り継がれていく。
それらの作品は、亡くなった本人が承認の上で発売して行った物なので、問題はない。
しかし、当事者が亡くなった後に発掘されて世に出たレコードというのは、微妙である。
本人が制作中に亡くなってしまった、という場合もあるけれど、それだって本来、最終的なチェックすら本人が行なっていない。
生前の意思を尊重して発売しました、といっても、本当のところ分からないのである。

ジミ・ヘンの「ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン」もそうだし、ジョンの「ミルク・アンドハニー」もそう。数えればキリがない。
もしかして、ビートルズのラスト・アルバムとなっている「レット・イット・ビー」だって、ビートルズが解体していなかったら、発売されていなかったかも知れない。

↓「遺作」と呼ばれるアルバム達。
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ジャニス・ジョプリンのアルバムは昔から良く聴く。
初めて聴いたのは中学3年のとき。
田舎のレコード屋さんには、ジャニスのレコードが一枚もなくて、レコード番号をメモして注文した。
レコード屋さんの店員さんは「中学生でジャニス?年ごまかしてるんちゃう?」と言われました。
はいはい、ごまかしてますごまかしてます、って答えたのを覚えている(笑)。
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最初に入手して聴いたのは遺作になった「PEARL」。
このアルバムの制作中の1970年10月4日ジャニスはホテルの一室で遺体になって発見されている。
今でも色々分らない部分があって、謎の部分があるのだけれど、死因はヘロインの摂取過多と言われている。
片手には4ドル50セントを握り締めていて、おそらくタバコを買うために握っていたのだろう。
ほぼアルバムは完成していて、残すのは「生きながらブルースに葬られ」のヴォーカル入れだけだったという。この曲は結局アルバムに収録されたけれど、ジャニスのボーカルなしのインストで収録されている。

映画「ジャニス」を見ていると、彼女がインタビューで「10年ぶりに高校の同窓会に行く」と発言している。
しかし、高校時代のことを彼女は「友達なんかいなかったし、誰も声をかけてくれなかった。街の笑いものだったわ。」
と発言している。実際に同窓会に行って見ると、有名人が故にサインはねだられる。
しかし、友達もいなくて、誰とも話をせず、話し相手のなっているのはジャニスの妹だけである。
これ以降、一切同窓会には行かなかったそうだ。
↓映画「JANIS」1974年公開。
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スタジオでのリハーサルでも、バンドのメンバーがミーティングをしてる中、1人全く別のことを話している。
話し相手になっているバンドのメンバーも困っているのだけれど、ジャニスはやめない。
そのうち、誰もジャニスを相手にしなくなる。
そして、彼女は拗ねてスタジオを出て行こうとする。
その時、誰かが「ジャニス、行くな」と声をかける。
彼女はニコッと笑って、戻ってくる。
↓映画「ジャニス」からの1シーン。
http://www.youtube.com/watch?v=HesegFuY3pk&feature=related

要するに、誰かに見られていたい、注目されていたい、そしてかまっていて欲しい、ということなのだろう。
これをわがままと取るかどうかは人それぞれだろう。
しかし、小生からするとジャニスの気持ちも分かる。
もう、学生時代に屈辱を受けた自分には戻りたくなかったのだろう。


4月にジャニス・ジョプリンの発掘ものが2つほぼ同じ時期に発売された。

一つは、遺作になった「PEARL」でのセッションをまとめた物で、ビートルズのアンソロジーみたいに1曲が仕上がっていく過程も収録されていて、こういうのはファンとしては嬉しくてたまらないのだけれど、本人が生きていたら出していただろうか?と思ってしまう。
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2枚組になっていて、1枚はオリジナル・アルバムのリマスター、そして、2枚目がセッションを記録したアウト・テイクスである。彼女のアウトテイクスの音を今までも色々聴いてきたけれど、はずれがないのである。
練習だから、と気を抜いている音源は少ない。
没テイクだからといって、オフィシャル音源とも引けを取らない。
今までに発掘されたライヴ音源にしても、ほぼ全ての音源、映像がそうである。
要するに、彼女は歌う事に全てを注いでいたのだろう、きっと。
その中でも、DISC2の「MOVE OVER」を仕上げていくジャニスの歌声は素晴らしい。

↓「MOVE OVER」

http://www.youtube.com/watch?v=YMVPBhf3gMA

そういう意味では、ジャニス・ジョプリンの音源は、本人の意思とは別に例え未完成であっても残していくべき物なのかもしれない。
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そして、2枚目は1968年6月に行なわれたカルーセル・ボールルームでのライヴアルバムである。
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なので、名作「チープ・スリル」の発表直前のライヴ、と言うことになる。
まだこの頃のジャニスは、ビッグ・ブラザー・アンド・ホールディング・カンパニー(以下BBAHC)
をバックに歌っている時期なのだけれど、この後彼らと袂をたって、別のバック・バンドを結成する
ことになる。
↓「CHEAP THRILL」の裏ジャケ
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本人はずっと、BBAHCと組んで歌い続けたかったようだけれど、やはり贔屓目に見てもバック
バンドとしての彼らは、ジャニスとは差が歴然としてしまっている。
非常にジャニス自身、力が入っていて熱が伝わってくるものになっているのだけれど、対照的にBBAHCというバンドの出来は酷くて笑ってしまう。
↓「SUMMERTIME」
http://www.youtube.com/watch?v=mzNEgcqWDG4

音質がスタート時はあまり良くはないのだけれど、徐々に安定していく。
恐らく当時、ライヴアルバム制作を前提に録音されたものなのだろう。

これからも彼女の発掘物は発売されていくものと思われる。
こうなったら、とことん付き合うので、出し惜しみせずに全て出し尽くして欲しい。
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by hirowilbury | 2012-05-05 15:00 | 音楽

よく夢を見る。
そして、夢を見るのが好きで、なので、曲のタイトルに「夢」と付くと、他人事とは思えなくなって、聴きたくなってしまう。
おそらく数え切れないくらいあるだろう、「夢」とタイトルの付く楽曲。
蛇足だけれど、昔、シーナ&ロケッツの「YOU MAY DREAM」という曲は、タイトル自身が、一つの洒落である。
そういうのって、好きです(笑)
小学1年の時、YMOと同じレコード会社だったから、好きでした。シーナ&ロケッツ。
学校に彼らを知っている子は一人もいなかったけどね(苦笑)。
子供ながらに「♪それが私の~」ってところで転調する所が、大好きでした。
↓シーナ&ロケッツ「YOU MAY DREAM」
http://www.youtube.com/watch?v=R8i0q8OI9i4&feature=related

夢を見るというのは、眠り浅い、なんていう人もいるのだけれど、よく分らない。
夢に関して色々な本を読んだりしたけれど、やっぱりよくわからない。
しかし、見る夢の内容とその時の精神状態は連動している事が多いみたい。
夢占いだとか、予知夢なんていうのもある。

小生は昔から「夢ノート」というのを書いている。
どういうものかというと、名前の通りその日に見た夢をノートに一気に書きとめる。
しかし、少し時間が経ってしまうと、思い出そうとしても断片しか思い出せなくて、その断片も時間が経てば忘れてしまう。

なので、起きるとすぐに覚えているままに記録する。
いつも枕元にノートを一冊置いていて、断片だろうが何だろうが、すぐに書く。

小生は小学3年生から始めていた。中学、高校を卒業して、就職したからも4年ほど続けていた。
少しストップしていたのだけれど、また数年前から記録を再開した。

すると、やっぱり不思議なことがよく起きる。
まず、ノートに書いている時は勿論覚えているのだけれど、日が経つと、そのノートに書いている内容でさえも、そんな夢は見ていないような気がしてくる。
記録したノートを見返してみても、実際にそんな夢を見たかな??というその夢自体を否定するような、記憶喪失になっているような時がある。

しかし、忘れていても、その夢は、数年経ってからいきなり「現実」として自分の前に現れることがある。
いわゆる予知夢、「デジャ・ヴ」というやつになるのかな。
その光景を何処かで見たことがある、ああ、夢であったぞ、こんな場面、というものである。

昔からママス&パパスは好きで、ベタだけれど「カリフォルニア・ドリーミング」という曲が大好きである。
↓「CALIFORNIA DREAMIN'」。邦題は「夢のカリフォルニア」。(スマホでは見れないかも。パソコンからなら閲覧OK)
http://www.youtube.com/watch?v=N-aK6JnyFmk&feature=related

この曲が入ったアルバムを入手したのは小生が中学1年の春だったと思う。
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はっきり覚えてないのだけれど、当時見た夢の中にこの曲が流れて、それでそのメロディだけが頭の中をぐるぐる回っていて、少ししてから突然この曲の事を思い出して、レコード屋さんに走って行って購入した。

ママス&パパスは、ジョン・フィリップス(2001年没)、デニー・ドーハティ(2007年没)の男子2名と、キャス・エリオット(1974年没)、ミッシャル・ギリアムの女子2名の男女混成4人組である。
美しいハーモニーで人気だったのだけれど、グループ内の男女関係は結構ドロドロしちゃったみたいね。
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しかし、小生にとってはそんなことはどうでもよくて、このコーラス・バンドが大好きで、この「夢のカリフォルニア」が入ったファーストアルバム、「IF YOU CAN BELIEVE YOUR EYES AND EARS」が大好きである。
多感な頃に聞いたというのもあるのだろう、きっと。
全米でNO.1になった「MONDAY MONDAY」、ビートルズのカヴァーでジョンレノンが16歳のときに作っていたという「I CALL YOUR NAME」のアレンジも斬新だし、「YOU BABY」のアレンジも小生は大好きである。止めは「CALIFORNIA DREAMIN」と言うことになるけれど、アルバム全体の完成度も高い。ここまで凝ったアレンジが出来たのは、ジョン・フィリップスの才能だろうな、きっと。キャス・エリオットのヴォーカルも大好きだけどね。
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1966年頃のアメリカ、カリフォルニアの雰囲気がよく伝わってくるアルバムである。
それまで1964年にビートルズが全米デビューして英国勢に押されっぱなしだった米国勢の中でも抜きん出た人気だったのが彼らで、1967年のモンタレーにはトリを務めている。このとき、ジャニス・ジョプリンや、ジミ・ヘン、ザ・フーなんかに美味しい所を持っていかれて、しかも彼ら自身の演奏も散々で、そのあたり不運な感じもあるのだけれど。
↓1967年「モンタレー・ロック・フェスティバル」より。
http://www.youtube.com/watch?v=CIrUwZmueJE

昨日見た夢に、彼らが歌っているスタジオに修学旅行に行く、という場面があった。
簡単に書いておくと、何故か奈良の阪奈道路をぞろぞろと歩いて、当日泊まる宿舎に向ってる。
何故か宿舎に着いたら会議をやっていて、いきなり「hiroさん、ちょんぼしましたね」と誰かに言われて、罰則として貴方はママス&パパスのスタジオにはいけません、と言われる。
仕方が無いので、一人で山の中を歩いていると、ママス&パパスのキャス・エリオットに会って英語で話をされる。
何を言っているのか分らないのだけれど、しかし、彼女に付いて行くと学校の教室に着いて、そこでママス&パパスのコンサートが始まる。
そこで「夢のカリフォルニア」を聴いた。

こういう風に、夢で見て夢が題名になった曲を聴きなおす、というのも中々乙なものである。
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なお、もし興味ある方は、ママス&パパスに関しての詳細はスペースの関係上wikipediaとかで調べてみてください。
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by hirowilbury | 2012-04-22 22:37 | 音楽

小生が住んでいた故郷には、街のレコード屋さんはあったけれどそこには当然輸入盤なんて置いてなくて、1年に1回程度、街のデパートの催し物会場にやってくる大阪のレコード屋が中古の輸入盤を販売していて1週間位するとまた大阪へ帰っていく、という程度だった。

今と違って、輸入盤は日本盤よりも高くて、とても小学生の貯めたお小遣いでは買えなかった。
ビートルズの日本盤では見たことのないジャケットのレコードを見つけても、眺めるだけで買えなかった。

↓通常のビートルズ「ア・ハード・デイズ・ナイト」
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催し物会場に来ている期間は限られているので、1週間もすると大阪に帰ってしまう。
そこに通っては、毎日ジャケットを眺めていた。
明日には売れてしまってもう無いかもしれない。
欲しいけれど、しかし、高くて買えない。
仕方なく、ジャケットを頭に焼け付けて帰っていく。
そんな毎日が続いた事があった。

「ア・ハード・デイズ・ナイト」のアメリカ盤は、今発売されている青色のジャケットに4人の連写写真がレイアウトされているものと違って、ジャケットは赤色で連写の写真から4人の写真を1枚ずつレイアウトしたものだった。
収録曲も全く違って、いつか手に入れようと夢見ていた一枚。
なので、後になって入手したときは、涙が出るほど嬉しかった。
これは高校生になって大阪に出向いて新品で入手したのだけれど、今でも日本では発売された事はないし、勿論公式にCDにもなっていない。
↓米国盤「ア・ハード・デイズ・ナイト」。80年代の再発盤かな?
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今普通に発売されている英国盤仕様はビートルズのオリジナルが13曲入っているけれど、アメリカ盤は映画の挿入歌7曲にプラスして、映画で使用されたジョージ・マーティン・オーケストラによるBGMも収録されていた。
しかも「アイル・クライ・インステッド」は通常とは違うロング・ヴァージョン、「アンド・アイ・ラブ・ハー」はポールの歌がシングル・トラックになっていて非常にかっこよくて、当時入手したときは毎日聴いていた。
↓米国盤のジャケ裏面。ビートルズの曲の合間にインストが挟み込まれている。
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映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」はおそらく、今までに何百回と見ている。
数えたことは無いけれど、字幕のない映像を見ても、4人の会話とか何を喋っているのか分るくらい。
そして前にも書いたことがあるけれど、ビートルズの映画の中では一番好きな映画である。
当時のビートルズに実際に起こっていたことを映画化したものであって、本当に毎日かれらはこういう毎日を過ごしていたのである。
そして、よく知られているように、この映画はモノクロである。
ビートルズにはモノクロが良く似合う。次の映画「ヘルプ!」はカラーで、非常に面白い映画ではあるけれど、最初に見たこのモノクロのイメージが小生のビートルズのイメージであって、それは今でも変わらない。
↓映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」DVD。昨年買いなおし。なお、邦題の「ビートルズがやってくる ヤアヤアヤア」と名づけたのはあの水野晴雄である。
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なんといっても、4人が走りまわっている。
「♪キャント・バイ・ミー・ラヴ」が流れて、空き地を4人が走り回っている場面が好きだ。
これは後にモンキーズなんかにも影響を与えて、更にその後のプロモーションビデオの走りにもなったものである。
最初は4人で走り回っているのに、最後空き地の管理人に「人の空き地に勝手に入りやがって!」と注意されて、渋々引き上げていくメンバーが3人しかいないのは、この場面の撮影のときだけ、ジョンがいなかったから。
こういうビートルズ映画でのトリビア、撮影秘話ならいくらでも話することが出来る。

↓「CAN'T BUY ME LOVE」
http://www.youtube.com/watch?v=Lkk-tspdZl8&feature=relmfu

4人の演奏する場面が好きだ。
向って右がジョンで、少し蟹股気味で、ギターをかき鳴らしてシャウトする。
向って左側でポールとジョージがコーラスをつける。
間からはしっかりドラマーのリンゴの姿も見える。
そしてポールは左利きだから、ジョージと、そしてジョンとのギターネックのコントラストが絶妙で美しい。
この演奏場面のエキストラの観客の中に、幼い頃のフィル・コリンズがいたことは有名な話である。

↓「TELL ME WHY~IF I FELL~I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」
http://www.youtube.com/watch?v=d-H7Ug8KNVk&feature=relmfu

映画の中で、リンゴが1人で街を歩き回る場面が好きだ。
他の3人としっくり行かなくて、少し拗ねて。
そしてリンゴが、見知らぬ少年と出会って、川に石を投げている場面が好きだ。
スターになってしまった彼は、普通の20代の青春を過ごしたかったのだろう、きっと。
映画の中の演出ではあるけれど、ここの場面は彼らの本心が描かれている気がする。
その場面で流れるのが「RINGO THEME」(ジョージ・マーティン・オーケストラによる「♪THIS BOY」のインストルメンタル)で、この曲が大好きなのである。

↓BGM「THIS BOY」
http://www.youtube.com/watch?v=GIvEc4yhdpM

こういう風に、この映画を見たのは親戚の義兄の家で、小学4年のときだったけれど、終わった後もエンディングが流れた終わったテレビ画面をずっと見つめていた。
もう、自分には今まで集めたプロ野球のカードも、虫かごも、虫取りの網もいらない、と思った。

今ではこのレコードだけで何枚あるだろう。
レコード棚を探してみると、ロシア盤とか、親父の形見である日本オリジナルジャケットのこのアルバムもあった。米国盤以外は、曲目も同じ。あ、CDも3枚ありました(笑)
↓旧ロシア盤「ア・ハード・デイズ・ナイト」ロシア文字でジャケットにビートルズのの文字。
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↓1964年当時、日本盤はこのジャケットでした。これは70年代の再発盤で76年まで日本はこれ。いわゆる親父の形見。これを繰り返し繰り返し聴いてました。
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↓集めてみるとこれだけありました(苦笑)。
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と、最初の出だしのレコード屋さんの話で、エルビス・コステロの記事にしようとしたのだけれど、話が見事にビートルズになってしまった(笑)。
話の流れとしては、「結局、その大阪からやって来ていた出張輸入レコード屋さんで初めて購入した輸入盤は中学1年の時、エルビス・コステロの1st「MY AIM IS TRUE」だった」という話に持って行って、昨日届いたコステロの最新ライヴアルバムの感想を書きたかったのだけれど。。。
当時、ビートルズのレコードを買えないのに眺めていた想いでの方が勝っちゃったみたい(笑)。

折角なので少しそれに触れておくと、今回のコステロのライヴアルバムは、ライヴの時ステージにルーレットを置き都度ルーレットを回して、矢が刺さった所の曲を演奏する、という変わったライヴステージでのアルバム。なのでどの曲を演奏することになるのか、運任せである。
中にはニック・ロウの「ハート・オブ・シティ」なんか演奏していて、聴いていて嬉しくなってしまう。
ストーンズの「アウト・オブ・タイム」も嬉しい。
↓コステロの最新ライヴアルバム。これをレビューするつもりでした(苦笑)。
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90年代のコステロは後半から少しジャズやクラシックなんかに走って小生なんぞ少し不満だったのだけれど、2000年代になってまた少し昔のコステロ・サウンドに戻ってきている。
08年のアルバム「momofuku」なんて凄く良かったし。
このライヴアルバムも、何度か繰り返し聞いたけれど、非常にコステロも力が入っていて、でもどこか達観したようなところがあって、非常に素晴らしいものだった。

コステロにはまた、こういう風にギターをかき鳴らして、自身のバンドと共に走っていって欲しい。
↓初期のコステロ。一番左が小生人生初の輸入盤「MY AIM IS TRUE」。ジャケがかっくいい。ってか英国盤はジャケにコーティングされているものが多く綺麗。真ん中の「GET HAPPY!」のみ日本盤。
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少し文章がバラバラになっちゃいました(苦笑)。
うー、不覚(泣)。
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by hirowilbury | 2012-04-11 22:00 | 音楽

清志郎が亡くなってから、5月で3年になる。
しかし、その間に未発表アルバム「BABY#1」が出たり、昨年は自身が生前に企画して選曲までしていたという「sings soul ballads」が出たりしていたので、3年も経ったという気がしない。
勿論、小生自身が彼の生前と変わらないくらい、普段からRCや清志郎のアルバムを聴いているということもあるのだろう、きっと。
↓昨年出た「sings soul ballads」
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RCのデビューは1970年である。
RCを好きな人なら知っていると思うけれど、RCというのは「The Remainders of Clover (リメインダーズ・オブ・クローバー)」の略であって、デビュー当時からすでにグラム・ロック、デヴィッド・ボウイみたいにメイクをして「雨上がりの夜空に」を歌っていた訳ではなくて、いわゆる「ハード・フォーク・トリオ」として3人組でデビューしている。フォークだったのだ、デビュー当時は。しかし、かぐや姫とか、そこらへんのフォークとは訳が違う。小生から言わせると、あれは歌謡曲。
少なくともフォークギターで「ロック」を歌えて、演奏できるグループをRC以外、小生は他に知らない。

メンバーは清志郎が歌、ギター、林小和生が歌とウッド・ベース、破廉ケンチが歌、リード・ギターという構成だった。3人とも1951年生まれだから、この時19歳。
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基本的に作詞作曲は清志郎なのだけれど、アルバムの中にはバランスよく3人の作品がブレンドされていて、それを他のメンバーがアレンジをしたり、歌を歌ったり、という形を取っていた。
清志郎は肝沢幅一というペンネームで名前を変えてクレジットされていたりする。
この名前は清志郎の父親が、沢田研二の名前をいつも間違えて「肝沢幅一」と言っていたのでそれをペンネームにしたらしい。
ペンネームを使うことは今では珍しくないのだけれど、当時はあまりなかったのではないだろうか。分らないのが、曲によって作者の名前を変えているところである。
今でもその意図を考えたりするのだけれど、未だにわからない。

「宝くじは買わない」でデビューして、その後「僕の好きな先生」でヒットを飛ばすのだけれど、その後が泣かず飛ばず。時代の先を行き過ぎていたのだろう、ここまででアルバムも2枚出したのだけれど、RCはマネジメントのトラブルに巻き込まれて、活動を停止せざる終えない状況になってしまう。

↓デビュー曲「宝くじは買わない」。当時(1994年)この映像観て泣きました。
 清志郎&チャボのデュオ。オリジナルの歌詞は♪400万円が当っても~ですが、
 変えてますね。♪1億4000万円が~って(笑)。
 それを聴いたチャボの表情が最高です。
 この曲を聴いて、小生は宝くじは買わないことを心に決めました。
 (しかし清志郎は毎回買ってたらしい・・・うそつき・・笑)

http://www.youtube.com/watch?v=7CnGsKTHtNw&feature=related

この辺り、書き始めると止まらなくなってしまうので、ここでは割愛するけれど、1971年に1stアルバム「初期のRCサクセション」、1972年に2ndアルバム「楽しい夕(ゆうべ)に」を出した。1stアルバムのタイトルが1枚目なのに、既にこうなっているのも清志郎らしくて微笑ましい。
将来大物になって、1stアルバムを振り返ったときに、こういうタイトルが付いていれば分りやすい、という事で付けたのかもしれない。
↓「初期のRCサクセション」1stアルバム。
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ただ1stアルバムは、レコード会社が勝手に演奏を追加して録音したりして彼らの思うようなレコードにはならなかったらしく、2枚目以降は自身でプロデュースすることを決意する。
確かに1stアルバムは、決まるべく所に音がなかったり、不要なところに余計なブラスの音が入ったりしていて、その辺2ndアルバムではしっかり改善されている。
↓「楽しい夕(ゆうべ)に」2ndアルバム。
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当時は、あの三浦友和がRCのメンバーだったなんて言っても誰も信じないだろうけど、実際、1stアルバムではボンゴで参加していたりする。
清志郎は何かのインタビューで「三浦友和にギターを教えたのは俺だ」と発言していた。
↓貴重なRC&三浦友和の写真。一番左が三浦友和(当時の名前は三浦 稔)
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2ndを出した後、3rdアルバムの制作に入って一旦完成、発売したのだけれど、事務所のトラブルが発生して発売中止になってしまう。
当時RCは井上陽水同じ事務所、マネジメントに所属していたのだけれど、マネジメント側が当時売れてきた陽水を引き抜いて別事務所を設立、引き抜いたマネジメントの秘蔵っ子だったRCに、前事務所がその恨みをぶつけた。彼らは移籍が許されず、実質仕事も与えられずに飼い殺し状態になってしまう。契約が切れたときに、再度陽水と同じ事務所に移籍するのだけれど。

事務所を移ってから、以前一度発売になった3rdアルバムを再発売したのだけれど、またすぐに廃盤になってしまう。そしてようやく3rd「シングル・マン」が出るのは1976年であって、完成から2年が経っていた。それも、ファンからの発売署名などで再発売された経緯がある。
とにかく、この時期のRCはいわゆる「暗黒時代」。ファンの間では「福住時代」と呼ばれている時代である。

それから地道に井上陽水、矢沢永吉なんかの前座なんかでライヴ活動を行なう。
清志郎が例えば矢沢永吉の前座で出てきて「こんばん~矢沢B吉です。永ちゃんは楽屋でう〇こしてま~す」なんて事を発したりして、矢沢ファンから罵声を浴びたりしたらしい。
しかし、RCは悔しい思いをしながらも、バンドもエレキ化しながら仕事をこなしていった。
その間にオリジナルメンバーだった破廉ケンチがエレキが弾弾けない、という理由でノイローゼになってしまい、脱退、そこでチャボが加入したのである。

小生は勿論、チャボが加入して、メイクしてロックン・ソウル(と、小生は勝手に名づけている)ガッタガッタガッタと歌う清志郎も大好きであって、アルバム「ラプソディ」や「プリーズ」、そして、高校2年のときの1990年に出た「BABY A GO GO」も堪能した。これが結局RCとしてはラストになってしまうのだけれど。
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しかし、よくプレーヤーに乗るアルバムは、この初期の2枚であって、ここでの清志郎の作る歌、そして歌っている清志郎は神懸っている。
なんなのだろう、このフォーク・ギターで歌われるロックは。
おそらく、当時一世を風靡していたザ・バンドからの影響も大きいのだろう、2ndの「もっとおちついて」なんかは、思いっきりザ・バンドである。
ある意味、前期の方がロックであって、歌詞だって清志郎の魂が乗り移っている。
「2時間35分」、「僕の自転車のうしろに乗りなよ」、「九月になったのに」、「シュー」なんかを聞いていると、ロックを好きになって良かったなあ、と思う。
「九月になったのに」を聴くと、小生と同じく清志郎は夏が嫌いなのだな、なんて思ったりして嬉しくなってしまう。
清志郎らしいのは、1stに「この世は金さ」と「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」が連続して収録されているところだろう。

そういう風に初期にも名曲が多いのだけれど、小生が彼らの曲で一番好きなのは2ndに入っている「忙しすぎたから」。
中学1年のときにこの2ndを入手して、それから必ず外出する時、当時はカセット、そして今ではネットワーク・ウォークマンに必ず入っていて持ち出している1曲。

小生が過ごした中学~高校時代の夏休みの夕暮れに感じていた感情、まったく同じ感情を歌ってくれている歌は、今まで聞いた中でこれだけである。
今まで聞いた人生の中で小生のダイアモンドになっている曲はズバリ、この曲である。
94年に清志郎とチャボ(仲井戸麗市)がデュオで復活して「グラッド・オール・オーヴァー・ツアー」のアコースティックコーナーで、チャボのボーカルでこの曲が歌われた時は、涙が出た。
↓1994年の購入した「グラッド・オーヴァー・ツアー」のレーザーディスク(LD)とCD。
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"忙しすぎたから"
作詩:林小和生 作曲:肝沢幅一(忌野清志郎)

楽しい夕(ゆうべ)に ぼくの友達は
ゴキブリと一緒に 昼寝をするのさ

夏が攻めてきて むし暑い毎日でも
夕方になれば とても涼しい

昼間のうちに 宿題を片づけて
眼鏡を外して 星を見るのさ

手紙の返事を 書くのが忙しくて
封筒を買いに 行く暇もない

このごろはだれも 口をきいてくれないから
ぼくはさみしくて 気が狂いそう

夏が終わって ゴキブリが死んだら
もっといい友達に 会えるかもしれない


↓「忙しすぎたから」/ RCサクセション(1972年のライヴ音源)
http://www.youtube.com/watch?v=KroQBr6mYWA

↓初期のRC。「2時間35分」は名曲。ちゃんと2分35秒で演奏が終了している所が泣ける
http://www.youtube.com/watch?v=7aSEetyWAWo&feature=related

↓名曲「僕の自転車のうしろに乗りなよ
http://www.youtube.com/watch?v=eMKHDdmM0KE&feature=relmfu

↓清志郎節炸裂!「3番目に大事なもの」
http://www.youtube.com/watch?v=yrdWYq3fhyg&feature=relmfu

まだまだRCに関しては語ろうと思えば語れるのだけれど、書き始めると止まらない。
「雨上がりの夜空に」は、清志郎が当時乗っていたポンコツ車「サニークーペ」を題材にした歌で、既にこの頃原型が書かれていたらしい。
しかも、そのサニークーペを購入した資金は、当時大ブレイクしていた井上陽水に曲を提供してその曲で入ってくる印税で購入したもの。
余談だけれど、この話を知って小生も「DEAR BLUE BIRD」という、小生が最初に手に入れたオンボロ中古車を題材にした曲を書いたことがある。
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これからも、RC、清志郎、チャボのアルバムが出たら遠い友達から手紙が来たような感覚で聴き続けていくのだろうな、きっと。
しかし、もう3年か。
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by hirowilbury | 2012-04-05 22:00 | 音楽

しばらく前に道頓堀の戎橋辺りをウロウロしていた。
昔とちがってかなり様相が変わってしまったのだけれど、心斎橋の商店街から戎橋を渡るときに、
「♪メダグル、イズイッチュ」となんとなく口ずさんだ。
それで気がついたのだけれど、小生がこの橋を渡るときはいつも何故かT-REXの歌を鼻歌で歌っていたりする。今思えばいつもそうであって、これはどういうことなのだろう。
↓「metal guru」/ T-REX
http://www.youtube.com/watch?v=dIwITUNmflY&feature=related

この前に通った時も、何も意識していないのに「♪アイルダンスティミッナイ」なんてやっぱりやっていた。
どうもあの橋の下に、マーク・ボランがぶら下がっているような気がしてきた。
今度戎橋を通る時は、こっそり気をつけてよく見ておこう。
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空想している状況設定としては、
①小生がトラックの荷台に載って「今日も良い天気だなあ」と言って、タバコを吸いながら戎橋の下にやってくる。(今は実際、下なんてないけどね)
②それで、ひょいと上を見上げると、マーク・ボランがあのギンギンギラギラの格好で、しかもレスポールのギターまでぶら下げて、足をブラブラして橋の下にぶら下がっている。

そこで小生は一体どんな気分になるのだろう。
いや、ちっとも不思議じゃない。うん、驚かないよ、きっと。

③そこで小生はトラックの荷台から降りて、タバコを吸いながらじっとそこに立って彼を見上げて見ているいるだろう。
④暫くすると、マーク・ボランはぶら下がっている橋の下から力尽きて落っこちてきて、尻餅をつくだろう。
⑤彼は立ち上がって、服の汚れなんかを掃いながら「痛てえなあ、もう」かなんかブツブツ言う。
⑥そして彼は立ち上がって、そこに立っている小生の方をジロッと見て、「見世物じゃねえぞ」と言って何処かへ行ってしまう。
⑦そうすると小生は、なぜ橋の下なんかで、1人立っているのか分んなくなって、たぶん1人で泣き出してしまうだろう。
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小生は普段から彼の歌をよく口ずさむ。
メロディーが単純だし、詩も構成も良くまとまっていて、簡単で覚えやすいからだろう。
ともかく一行の詩の言葉の繋がりが良く出来ている。
そして、決まる一行が、必殺の一行が、どの曲にも必ずある。裏を返せばどの曲も、一行しか決まっていない。「ジプシー・スター」、「ザ・グルーパー」あたりまで、全てそうである。
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「20世紀の少年」を例にしてみると、
  ”20th century toy , I wanna be your boy.
   20th century boy, I wanna be your toy.”
この行だけである。ここをしつこくリフレインしている。この曲では3分40秒の内、ここだけを聴けばいいのである。1曲について、言いたい事が1つだけというのは、非常に理想的だと思う。
まわりくどくなくて、すっきりしている。
ただ、マーク・ボランはその1行を決めるための手順や、説明を全部省いている。
リフレインの1行だけを決めればいいのだ。で、突然曲のクライマックスがやってくる。

↓「20th century boy」/ T-REX
http://www.youtube.com/watch?v=qpmU4xnmxlQ

リフレインというのは魔術の一つだ。振り子の揺れているのを見せされているように、同じ事をずっとくり返されていると、なんかその気になってしまう。
同じような手法を使う人に、ポール・マッカートニーがいる。「バンド・オン・ザ・ラン」も同じ手法である。
T-レックス、つまりマーク・ボランの場合、リフレインだけではなくて、曲までみんな似ているから、やっぱりあれは魔術だな、きっと。
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T-レックスが70年代に来日したとき、客のノリが悪かったので、マーク・ボランが「たががロックン。ロールじゃあないか。気楽に乗れよ。」と言ったそうである。
彼の詩は、その殆どが自己紹介の歌である。
彼の言いたい事は、つまりさっきの「20世紀の少年」なのではなかったのだろうか?
 ”僕は今世紀最大のおもちゃなんだ
  好きなように遊んでもらいたいのさ”
                (from「20th century boy」)
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by hirowilbury | 2012-04-01 13:06 | 音楽

今スージー・クアトロ、といっても知っている人は少ないと思われる。
少し紹介しておくと、スージー・クアトロという人は1973年に2ndシングル「キャン・ザ・キャン」で英国を中心にヒット曲を放ったミュージシャン。
今日本では、この曲が一番知られてるのかな?

↓小生初の「外タレ」レコード購入はこれ「ワイルド・ワン」。
http://www.youtube.com/watch?v=Q5mDFuPBoGI&feature=related

↓PCの方はこれもどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=dra_FMil1_0&feature=related

↓個人的には、少し優し目のこれも好きですが。
http://www.youtube.com/watch?v=ck0U14YFg1Q&feature=related

ポール・マッカートニーを溺愛し、自らも皮の全身スーツを着こんで、ベースを弾きながら歌を歌うという、皮のスーツは別にして、おそらくポール・マッカートニーが好きな人なら一度は憧れるスタイルを貫いた人である。
歌は決して上手くなくて、ベーシストとしてもポールからの影響は何かの間違いではないか?という気がするくらいだけれど、しかし、やっぱり貴方は正しい。
不安定だけれど小気味良くて、彼女自身が奏でる最良のロックンロールなのである。

昔から一つのスタイルに固持してしまうと中々変化が出来なくて良くない、などと評論家顔した奴らが語ったりする。しかし、スタイルを作り上げてそれを続ける、というのがいかに大変なことなのか、分っていないのであって、同じスタイルをこれでもか、と続けることも立派なことなのであって、それはストーンズだってそうである。
そしてその究極のワンパターンを継続していった1人がこのスージー・クアトロである。
”股間に響くベースサウンド”なんていうとんでもないキャッチフレーズでデビューしたために、少し色物扱いされてヒステリック女王みたいに見られたりしたのだけれど、しかし、自分のスタイルを貫いて、究極のワンパターンを貫いた彼女は立派である。
そして変に格好つけてなくて、一生懸命である。その辺り、好感が持てる。
今でも、懐かしいのと新鮮なのとで、時たまターンテーブルや、CDプレーヤーに彼女のものが載る。
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父親はイタリア人、母親はハンガリー生まれ。そして彼女自身はアメリカミシガン、デトロイト生まれで、ジェフ・ベックをてがけたミッキー・モストによってスカウトされてデビューしている。
米国生まれなんだけれど、1971年ごろに英国に渡って、英国を活動の中心にしていた。
現在はラジオのDJとして活躍しているらしい。「ボヘミアン」の葛城ユキみたいだな。
70年代の英国にはこういう愛しのミュージシャンがいっぱいいたのね。
結局アメリカでは成功は収められなかったけれど、日本でもかなりの人気があった。
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なんといっても、小生が初めて購入した外タレ(←死語?、笑)ミュージシャンのレコードが、このスージー・クアトロのシングルレコードであった。信じられないかもしれないけれど、小生がこのレコードを親に買って貰ったのが1975年の春であった(ジャケットの後ろにその表示があり、おそらくオフクロの文字かと思われる。)
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計算してみると、小生が2歳の時である。
自分の事を語るのは好きではないのだけれど、少しだけ書いておくと、小生は生まれて間もなくして、レコードやカセットテープなんかにに興味を持って、しかも家にあった大きなステレオにレコードを置いてレコード針を置いて音楽を聴くのが好きだったそうである。
カセットテープにしても、再生されて、テープが右のリールから左のリールに再生されていくのをじっと見ているのが好きだったという、変わった男の子だったらしい。

考えてみると、かなり変わった子であって、親も親でよくそんな幼児に当時は高価であっただろう、レコードやレコード針を触らせたものだと感心してしまう。

基本的にシングルに力を入れてきた人だと思っていたので、所有しているのはベスト・アルバムを数枚と、オリジナルアルバムは「AGGRO PHOBIA」のみという状況だったのだけれど、その彼女のオリジナル・アルバム1stと2ndが再発売されたので聞いて見た。

かなりシングルの類のポップさ、ロックンロール度と少し異なって、アルバムの内容は実験的なので、少し面食らってしまったのだけれど、しかし、そこは彼女らしい小気味良いロックンロールも奏でていて、シングルでは表現できない事を色々とやってみたかったのだろうな、
と思われる内容になっている。でも、土台になっているのは、究極のワンパターンのリズムであって、これはやはり貫き通されている。

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シングル盤を集めたベストアルバムを中心に聞いてきた小生としては、彼女の違う側面も見ることが出来て、満足である。
1stに入っている、「SHAKIN' ALL OVER」、「I WANNA BE YOUR MAN」、「STICKS ADN STONES」なんかはブリティッシュロックが大好きな彼女の趣味が良く分るし、2ndもやっぱり路線は変わらず。

しかし、手の平を返すようなのだけれど、彼女はやっぱり一発勝負のシングル盤、ポップなシングルナンバーがしっくりくるなあ。
もし彼女に興味を持って1枚買ってみようと思われる方は、迷わずベストアルバムの購入をお勧めする。
内容は小生が保証します。
↓約20年前に編集されたベスト。まだ現在も発売されています。
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by hirowilbury | 2012-03-19 22:24 | 音楽

確かあれは中学1年の時の夏休みも終わろうとしていた、ある日の暑い夏の終わりの夕方だったと思う。その日は、学校のクラブ活動も無くて1日レコードを聴いたり、本を読んだりしてゴロゴロと過ごしていた。
そうしているうちに外は酷い夕立になって、まだ夏の日の夕方だというのに不気味なくらい空が暗くなった。そして激しく雨が屋根を打ちつけていて、聴いているレコードの音もボリュームを上げないと聞こえないくらい、雨がトタンを叩きつける音が大きくなった。
小生が生まれ育って中学2年まで住んでいた生家は、屋根こそ瓦だったのだけれど、1階と2階の間にはトタン板ががあって、そこに雨が降りつけるとゴーっと凄い音を立てるので、そのもの凄い音が幼い頃は怖かったのを覚えている。
仕方が無いので雨が入らないように、開けていた窓を閉めてもう一枚レコードをかけた。
このレコードは昔から聴きたかったのだけど、当時ビートルズを集めるのに必死で、そこまでお金が回らなかった。
しかし、家計のためにやっていた新聞配達で貰った少ないお金の残りで、遂にそのレコードを入手することができた。
せっかく入手したレコードなのに何故かワクワクせず、恐る恐るレコードに針を置いた。おそらく聴きたいのだけれど、しかしジャケットの不気味さもあって、尚且つこういう天候だったからだろうきっと。
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針を置くとドラムがリズムを刻みだし、ギターが被さってくる。そこにある男の声が重なってきた。

 昼は夜を破壊する
 夜は昼を分断する
 だから逃げようとした
 隠れようとした
 突き進め、向こう側まで
 突き進め、向こう側まで
 突き進め、向こう側まで
 ("BRAKE ON THROUGH(TO THE OTHER SIDE)) / The Doors
http://www.youtube.com/watch?v=6BIjCW2_Uik&feature=related
それまで小生は、クラブ活動(陸上部)に明け暮れて、だけれど野球も好きで時間さえあれば友人とグローブを持って野球にでかける少年だった。
夏休みは毎日殆どはそうだったし、家にいることのほうが少なかったと思う。
とにかく、走り回っている事が好きだった。
しかし、ある日、こういう風にジム・モリソンが歌うのを聴いて、もういいのではないか、と思うようになった。もう、外で走り回って遊ぶのはやめようと。
他の友達よりもロックを聞き分ける耳、には自信があったつもりである。
その耳が正しかったのかどうなのか、よく分らないのだけれど。

その日を鏡に、小生はグローブを持って野球をしたり、外を走り回ったりして遊ぶことをしなくなった。ませたガキ、小生中学1年の夏の終わり。

ドアーズは活動中6枚のオリジナル・アルバムを発表している。
1967年に「ハートに火をつけて」でデビューしてから、ジム・モリソンが死んでしまった1971年までの間に6枚である。アルバムで言うと1stアルバムである「ドアーズ」からラスト・アルバム「L.Aウーマン」まで、5年間に6枚のアルバムを発表するというのは今の感覚では考えられないのかもしれないけれど、当時は1年に1枚はアルバムを発表するミュージシャンの方が多かった。
ビートルズだって基本1年に2枚だもんね。

発表した6枚の内、今では全てが名作ということになっているのだけれど、3枚目「ウェイティング・フォー・ザ・サン」、4枚目の「ソフト・パレード」になると、少しジム・モリソンが精彩に欠けているように思えるし、ラスト・アルバムの「LAウーマン」なんぞ、煮詰まってしまってしまって1発録りのブルースアルバムである。それくらい、ジム・モリソンはアルバムの枚数を重ねるに連れて精彩を欠いた。というか、追い詰められて行ったのだろう。
そしてドラッグの影響なのだろう、体も丸くなって行ったけれど、作品も丸くなっていった。
確かにそれらのアルバムにも名曲はある。
「ウェイティング・フォー・ザ・サン」に入っている「ラヴ・ストリート」、「ファイヴ・トゥ・ワン」狂気の果てみたいな名曲だし、ラスト・アルバムの「ライダーズ・オンザ・ストーム」だって美しい。「ライダーズ・オンザ・ストーム」の嵐の音は、当時の夏休みの夕立を思い出す。
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しかし、ドアーズの炎はファーストアルバムであるこの「ドアーズ」に凝縮されている。
すでにこの時点で彼らは完成されていて、しかしある意味未完成であって、ところが、以降それを越えられなかったということなのだろう、きっと。2nd「ストレンジ・デイズ」も名作だけれど、このファーストの荒々しさには及ばない。

結局、このファーストアルバムで彼らは燃え尽きてしまったのである。
完成度、演奏の質、そしてスタジオでのトリックなんかは格段的にセカンドアルバム以降の方が上である。しかし、結局彼らはこのファースト以上の荒々しさや、ふてぶてしさを出すことが出来なかった。

毎年夏の終わりになると、当時の夏休みの終わり、夕方の夕立を思い出す。
そんな風景さえ鮮明に記憶しているくらい、ファーストアルバム「ドアーズ」を聴いた時の衝撃度は今も残っている。

追伸
最近「L.Aウーマン」の40周年記念盤が発売された。
既に所有しているので、購入すべきか迷っているのだけれど1枚はオリジナル・アルバム、そして2枚目は未発表音源らしい。バラで2枚目だけ売ってくれないかなあ。。
しかし、出てくるな、ドアーズの未発表音源がどんどん。
すでにジム・モリソンが死んでしまってから40年も経つのに。
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by hirowilbury | 2012-03-10 20:14 | 音楽

今では通常生活しているときはコンタクトレンズをしていて、帰宅したらメガネ、というパターンである。しかし、小生は小学生3年の頃から中学にかけて、普段からメガネをかけていた。
今ではお洒落の一つでメガネを着用したりする事も増えたみたいだけれど、しかし当時はメガネをかけていると「格好悪い」方が先行していた。間違いなく。
一度、小学3年の頃友人の誕生日会の呼ばれて行く途中に、何かにぶつかったか何かでアザを作ってしまった。そして、お呼ばれした友人の母親に「大丈夫?目が4つもあるのに、気をつけないとね」って言われて、そのまま会には顔を出さず悲しくなって帰ったことがあった。
それまで自分の外的な部分で非なんて考えたことが無かった。
人に言われると結構傷つくものである。
なので自分は、人が傷付くのでは、と思われることは絶対に言わない様に心がけている。
結構いるのね、ズケズケと言う奴。
そういう人とは話しないようにしている。

その事件以降から、そういうネタはこちらから先にネタにしてやろうと決めた。
現在、自分は頭が薄いのだけれど、こちらから先制を打つ。
しかし、そのほうがすっきりする。
ま、それが欠点だなんて思っては無いけれどね。

ザ・フーのピート・タンジェントが自分の鼻の高さに悩んでいた、というのは有名な話である。
「子供の頃可愛い女の子が、自分の鼻のことでヒソヒソ話をしている光景を目にした。ちくしょうめ、今に見ていろ。だから、曲を作ること、演奏して楽器を壊すことでそのフラストレーションを解消していた」などというインタビューを読んだことがある。
↓「MY GENERATION」THE WHO (1965) 彼らのデビューアルバム。
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大人になっても子供の頃にバカにされた恨みはずっと抱えていた、ということなのだろう。
基本的に恨みを根に持つ、非常に執念深い人なのである。
そして、そのフラストレーションをピートは「アイ・キャント・エクスプレイン」で「感情を上手く言い表せないフラストレーション」、「マイ・ジェネレーション」で「自分たちの言いたいことはこうだ。ジジイになる前に死にたいぜ」という歌詞を書いて、同世代若者の普段の同じ悩みを歌にした。

http://www.youtube.com/watch?v=D67BIv-R3Qw&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=uswXI4fDYrM&ob=av3n

だから、パンクロックが出現したとき、ストーンズ、ミック・ジャガーはイモ、などとバカにされたけれどフーとキンクスだけはパンク・ロッカーからも「パンク・オブ・ゴッド・ファーザー」と崇拝されたのだろうきっと。
しかしなぜ崇拝されたのかと考えてみると、やはりピートが自分に誠実である、というのが理由だと思われる。

ピート・タウンジェントは信頼できるミュージシャンであって、嘘はつかない。
いつでも必ずこちらの味方でいてくれるし、こちらが歌って欲しいことをストレートに歌詞に乗せてくれた。
そして、それはヴォーカルのロジャーに託して、自分はギターでそれを表現する。
しかし、誠実でいること、嘘をつかないでいることを実行することで、自分を苦しめることにもなる。
↓小生所有のTHE WHOのCD一部。まだありますが、写りきらん。
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それは1964年に英国から「アイ・キャント・エクスプレイン」でデビューして、3rdシングルで発表しヒット曲になった「マイ・ジェネレーション」の中にあった。

「ジジイになる前に死んでしまいたい」

この一つの歌詞がピートをいままで苦しめた。
死に切れなかった、というのが正しいと思われる。
それに対してまた悩む。
結局、結果的に嘘をついてしまったことに対して悩んでいたのである。
↓フー解散後に発表したピートのソロアルバム達。
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彼は自分が言った事にしっかり責任を持って来た。
要するに、非常に生真面目なのだ、ピート・タウンジェントと言う人は。
そして繊細な心を持ち、そして怒りっぽくて、神経質でもある。
しかし、小生はこういうミュージシャンは、心底信頼できる。

ドラムのキース・ムーンが1978年になくなったときも、一度ピートはフーの解散を考えている。
しかし、ケニー・ジョーンズを入れて再出発している。
後に彼はまた「キースが死んだときに終わっておけばよかった」と悩む。

そういう人なのだ、彼は。

今日は朝からフーを引っ張り出して聴いている。
英国でのファーストアルバム「MY GENERATION」のジャケットも素晴らしいけれど(モノラルのオリジナル盤である)、特に小生が英国に行ったときに中古レコード屋で購入した「MEATY BEATY BIG & BOUNCY」のジャケット。
素晴らしい。一生の家宝にしたいくらい。
そして、小生はこれからも死ぬまで、ザ・フーのアルバムを聴き続けるだろう。

彼らは「子供のまま大人になった、正しいロックミュージシャンであって、一番ロックに相応しい大人たち」である。
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by hirowilbury | 2012-03-04 14:43 | 音楽