今スージー・クアトロ、といっても知っている人は少ないと思われる。
少し紹介しておくと、スージー・クアトロという人は1973年に2ndシングル「キャン・ザ・キャン」で英国を中心にヒット曲を放ったミュージシャン。
今日本では、この曲が一番知られてるのかな?

↓小生初の「外タレ」レコード購入はこれ「ワイルド・ワン」。
http://www.youtube.com/watch?v=Q5mDFuPBoGI&feature=related

↓PCの方はこれもどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=dra_FMil1_0&feature=related

↓個人的には、少し優し目のこれも好きですが。
http://www.youtube.com/watch?v=ck0U14YFg1Q&feature=related

ポール・マッカートニーを溺愛し、自らも皮の全身スーツを着こんで、ベースを弾きながら歌を歌うという、皮のスーツは別にして、おそらくポール・マッカートニーが好きな人なら一度は憧れるスタイルを貫いた人である。
歌は決して上手くなくて、ベーシストとしてもポールからの影響は何かの間違いではないか?という気がするくらいだけれど、しかし、やっぱり貴方は正しい。
不安定だけれど小気味良くて、彼女自身が奏でる最良のロックンロールなのである。

昔から一つのスタイルに固持してしまうと中々変化が出来なくて良くない、などと評論家顔した奴らが語ったりする。しかし、スタイルを作り上げてそれを続ける、というのがいかに大変なことなのか、分っていないのであって、同じスタイルをこれでもか、と続けることも立派なことなのであって、それはストーンズだってそうである。
そしてその究極のワンパターンを継続していった1人がこのスージー・クアトロである。
”股間に響くベースサウンド”なんていうとんでもないキャッチフレーズでデビューしたために、少し色物扱いされてヒステリック女王みたいに見られたりしたのだけれど、しかし、自分のスタイルを貫いて、究極のワンパターンを貫いた彼女は立派である。
そして変に格好つけてなくて、一生懸命である。その辺り、好感が持てる。
今でも、懐かしいのと新鮮なのとで、時たまターンテーブルや、CDプレーヤーに彼女のものが載る。
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父親はイタリア人、母親はハンガリー生まれ。そして彼女自身はアメリカミシガン、デトロイト生まれで、ジェフ・ベックをてがけたミッキー・モストによってスカウトされてデビューしている。
米国生まれなんだけれど、1971年ごろに英国に渡って、英国を活動の中心にしていた。
現在はラジオのDJとして活躍しているらしい。「ボヘミアン」の葛城ユキみたいだな。
70年代の英国にはこういう愛しのミュージシャンがいっぱいいたのね。
結局アメリカでは成功は収められなかったけれど、日本でもかなりの人気があった。
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なんといっても、小生が初めて購入した外タレ(←死語?、笑)ミュージシャンのレコードが、このスージー・クアトロのシングルレコードであった。信じられないかもしれないけれど、小生がこのレコードを親に買って貰ったのが1975年の春であった(ジャケットの後ろにその表示があり、おそらくオフクロの文字かと思われる。)
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計算してみると、小生が2歳の時である。
自分の事を語るのは好きではないのだけれど、少しだけ書いておくと、小生は生まれて間もなくして、レコードやカセットテープなんかにに興味を持って、しかも家にあった大きなステレオにレコードを置いてレコード針を置いて音楽を聴くのが好きだったそうである。
カセットテープにしても、再生されて、テープが右のリールから左のリールに再生されていくのをじっと見ているのが好きだったという、変わった男の子だったらしい。

考えてみると、かなり変わった子であって、親も親でよくそんな幼児に当時は高価であっただろう、レコードやレコード針を触らせたものだと感心してしまう。

基本的にシングルに力を入れてきた人だと思っていたので、所有しているのはベスト・アルバムを数枚と、オリジナルアルバムは「AGGRO PHOBIA」のみという状況だったのだけれど、その彼女のオリジナル・アルバム1stと2ndが再発売されたので聞いて見た。

かなりシングルの類のポップさ、ロックンロール度と少し異なって、アルバムの内容は実験的なので、少し面食らってしまったのだけれど、しかし、そこは彼女らしい小気味良いロックンロールも奏でていて、シングルでは表現できない事を色々とやってみたかったのだろうな、
と思われる内容になっている。でも、土台になっているのは、究極のワンパターンのリズムであって、これはやはり貫き通されている。

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シングル盤を集めたベストアルバムを中心に聞いてきた小生としては、彼女の違う側面も見ることが出来て、満足である。
1stに入っている、「SHAKIN' ALL OVER」、「I WANNA BE YOUR MAN」、「STICKS ADN STONES」なんかはブリティッシュロックが大好きな彼女の趣味が良く分るし、2ndもやっぱり路線は変わらず。

しかし、手の平を返すようなのだけれど、彼女はやっぱり一発勝負のシングル盤、ポップなシングルナンバーがしっくりくるなあ。
もし彼女に興味を持って1枚買ってみようと思われる方は、迷わずベストアルバムの購入をお勧めする。
内容は小生が保証します。
↓約20年前に編集されたベスト。まだ現在も発売されています。
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by hirowilbury | 2012-03-19 22:24 | 音楽

確かあれは中学1年の時の夏休みも終わろうとしていた、ある日の暑い夏の終わりの夕方だったと思う。その日は、学校のクラブ活動も無くて1日レコードを聴いたり、本を読んだりしてゴロゴロと過ごしていた。
そうしているうちに外は酷い夕立になって、まだ夏の日の夕方だというのに不気味なくらい空が暗くなった。そして激しく雨が屋根を打ちつけていて、聴いているレコードの音もボリュームを上げないと聞こえないくらい、雨がトタンを叩きつける音が大きくなった。
小生が生まれ育って中学2年まで住んでいた生家は、屋根こそ瓦だったのだけれど、1階と2階の間にはトタン板ががあって、そこに雨が降りつけるとゴーっと凄い音を立てるので、そのもの凄い音が幼い頃は怖かったのを覚えている。
仕方が無いので雨が入らないように、開けていた窓を閉めてもう一枚レコードをかけた。
このレコードは昔から聴きたかったのだけど、当時ビートルズを集めるのに必死で、そこまでお金が回らなかった。
しかし、家計のためにやっていた新聞配達で貰った少ないお金の残りで、遂にそのレコードを入手することができた。
せっかく入手したレコードなのに何故かワクワクせず、恐る恐るレコードに針を置いた。おそらく聴きたいのだけれど、しかしジャケットの不気味さもあって、尚且つこういう天候だったからだろうきっと。
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針を置くとドラムがリズムを刻みだし、ギターが被さってくる。そこにある男の声が重なってきた。

 昼は夜を破壊する
 夜は昼を分断する
 だから逃げようとした
 隠れようとした
 突き進め、向こう側まで
 突き進め、向こう側まで
 突き進め、向こう側まで
 ("BRAKE ON THROUGH(TO THE OTHER SIDE)) / The Doors
http://www.youtube.com/watch?v=6BIjCW2_Uik&feature=related
それまで小生は、クラブ活動(陸上部)に明け暮れて、だけれど野球も好きで時間さえあれば友人とグローブを持って野球にでかける少年だった。
夏休みは毎日殆どはそうだったし、家にいることのほうが少なかったと思う。
とにかく、走り回っている事が好きだった。
しかし、ある日、こういう風にジム・モリソンが歌うのを聴いて、もういいのではないか、と思うようになった。もう、外で走り回って遊ぶのはやめようと。
他の友達よりもロックを聞き分ける耳、には自信があったつもりである。
その耳が正しかったのかどうなのか、よく分らないのだけれど。

その日を鏡に、小生はグローブを持って野球をしたり、外を走り回ったりして遊ぶことをしなくなった。ませたガキ、小生中学1年の夏の終わり。

ドアーズは活動中6枚のオリジナル・アルバムを発表している。
1967年に「ハートに火をつけて」でデビューしてから、ジム・モリソンが死んでしまった1971年までの間に6枚である。アルバムで言うと1stアルバムである「ドアーズ」からラスト・アルバム「L.Aウーマン」まで、5年間に6枚のアルバムを発表するというのは今の感覚では考えられないのかもしれないけれど、当時は1年に1枚はアルバムを発表するミュージシャンの方が多かった。
ビートルズだって基本1年に2枚だもんね。

発表した6枚の内、今では全てが名作ということになっているのだけれど、3枚目「ウェイティング・フォー・ザ・サン」、4枚目の「ソフト・パレード」になると、少しジム・モリソンが精彩に欠けているように思えるし、ラスト・アルバムの「LAウーマン」なんぞ、煮詰まってしまってしまって1発録りのブルースアルバムである。それくらい、ジム・モリソンはアルバムの枚数を重ねるに連れて精彩を欠いた。というか、追い詰められて行ったのだろう。
そしてドラッグの影響なのだろう、体も丸くなって行ったけれど、作品も丸くなっていった。
確かにそれらのアルバムにも名曲はある。
「ウェイティング・フォー・ザ・サン」に入っている「ラヴ・ストリート」、「ファイヴ・トゥ・ワン」狂気の果てみたいな名曲だし、ラスト・アルバムの「ライダーズ・オンザ・ストーム」だって美しい。「ライダーズ・オンザ・ストーム」の嵐の音は、当時の夏休みの夕立を思い出す。
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しかし、ドアーズの炎はファーストアルバムであるこの「ドアーズ」に凝縮されている。
すでにこの時点で彼らは完成されていて、しかしある意味未完成であって、ところが、以降それを越えられなかったということなのだろう、きっと。2nd「ストレンジ・デイズ」も名作だけれど、このファーストの荒々しさには及ばない。

結局、このファーストアルバムで彼らは燃え尽きてしまったのである。
完成度、演奏の質、そしてスタジオでのトリックなんかは格段的にセカンドアルバム以降の方が上である。しかし、結局彼らはこのファースト以上の荒々しさや、ふてぶてしさを出すことが出来なかった。

毎年夏の終わりになると、当時の夏休みの終わり、夕方の夕立を思い出す。
そんな風景さえ鮮明に記憶しているくらい、ファーストアルバム「ドアーズ」を聴いた時の衝撃度は今も残っている。

追伸
最近「L.Aウーマン」の40周年記念盤が発売された。
既に所有しているので、購入すべきか迷っているのだけれど1枚はオリジナル・アルバム、そして2枚目は未発表音源らしい。バラで2枚目だけ売ってくれないかなあ。。
しかし、出てくるな、ドアーズの未発表音源がどんどん。
すでにジム・モリソンが死んでしまってから40年も経つのに。
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by hirowilbury | 2012-03-10 20:14 | 音楽

今では通常生活しているときはコンタクトレンズをしていて、帰宅したらメガネ、というパターンである。しかし、小生は小学生3年の頃から中学にかけて、普段からメガネをかけていた。
今ではお洒落の一つでメガネを着用したりする事も増えたみたいだけれど、しかし当時はメガネをかけていると「格好悪い」方が先行していた。間違いなく。
一度、小学3年の頃友人の誕生日会の呼ばれて行く途中に、何かにぶつかったか何かでアザを作ってしまった。そして、お呼ばれした友人の母親に「大丈夫?目が4つもあるのに、気をつけないとね」って言われて、そのまま会には顔を出さず悲しくなって帰ったことがあった。
それまで自分の外的な部分で非なんて考えたことが無かった。
人に言われると結構傷つくものである。
なので自分は、人が傷付くのでは、と思われることは絶対に言わない様に心がけている。
結構いるのね、ズケズケと言う奴。
そういう人とは話しないようにしている。

その事件以降から、そういうネタはこちらから先にネタにしてやろうと決めた。
現在、自分は頭が薄いのだけれど、こちらから先制を打つ。
しかし、そのほうがすっきりする。
ま、それが欠点だなんて思っては無いけれどね。

ザ・フーのピート・タンジェントが自分の鼻の高さに悩んでいた、というのは有名な話である。
「子供の頃可愛い女の子が、自分の鼻のことでヒソヒソ話をしている光景を目にした。ちくしょうめ、今に見ていろ。だから、曲を作ること、演奏して楽器を壊すことでそのフラストレーションを解消していた」などというインタビューを読んだことがある。
↓「MY GENERATION」THE WHO (1965) 彼らのデビューアルバム。
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大人になっても子供の頃にバカにされた恨みはずっと抱えていた、ということなのだろう。
基本的に恨みを根に持つ、非常に執念深い人なのである。
そして、そのフラストレーションをピートは「アイ・キャント・エクスプレイン」で「感情を上手く言い表せないフラストレーション」、「マイ・ジェネレーション」で「自分たちの言いたいことはこうだ。ジジイになる前に死にたいぜ」という歌詞を書いて、同世代若者の普段の同じ悩みを歌にした。

http://www.youtube.com/watch?v=D67BIv-R3Qw&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=uswXI4fDYrM&ob=av3n

だから、パンクロックが出現したとき、ストーンズ、ミック・ジャガーはイモ、などとバカにされたけれどフーとキンクスだけはパンク・ロッカーからも「パンク・オブ・ゴッド・ファーザー」と崇拝されたのだろうきっと。
しかしなぜ崇拝されたのかと考えてみると、やはりピートが自分に誠実である、というのが理由だと思われる。

ピート・タウンジェントは信頼できるミュージシャンであって、嘘はつかない。
いつでも必ずこちらの味方でいてくれるし、こちらが歌って欲しいことをストレートに歌詞に乗せてくれた。
そして、それはヴォーカルのロジャーに託して、自分はギターでそれを表現する。
しかし、誠実でいること、嘘をつかないでいることを実行することで、自分を苦しめることにもなる。
↓小生所有のTHE WHOのCD一部。まだありますが、写りきらん。
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それは1964年に英国から「アイ・キャント・エクスプレイン」でデビューして、3rdシングルで発表しヒット曲になった「マイ・ジェネレーション」の中にあった。

「ジジイになる前に死んでしまいたい」

この一つの歌詞がピートをいままで苦しめた。
死に切れなかった、というのが正しいと思われる。
それに対してまた悩む。
結局、結果的に嘘をついてしまったことに対して悩んでいたのである。
↓フー解散後に発表したピートのソロアルバム達。
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彼は自分が言った事にしっかり責任を持って来た。
要するに、非常に生真面目なのだ、ピート・タウンジェントと言う人は。
そして繊細な心を持ち、そして怒りっぽくて、神経質でもある。
しかし、小生はこういうミュージシャンは、心底信頼できる。

ドラムのキース・ムーンが1978年になくなったときも、一度ピートはフーの解散を考えている。
しかし、ケニー・ジョーンズを入れて再出発している。
後に彼はまた「キースが死んだときに終わっておけばよかった」と悩む。

そういう人なのだ、彼は。

今日は朝からフーを引っ張り出して聴いている。
英国でのファーストアルバム「MY GENERATION」のジャケットも素晴らしいけれど(モノラルのオリジナル盤である)、特に小生が英国に行ったときに中古レコード屋で購入した「MEATY BEATY BIG & BOUNCY」のジャケット。
素晴らしい。一生の家宝にしたいくらい。
そして、小生はこれからも死ぬまで、ザ・フーのアルバムを聴き続けるだろう。

彼らは「子供のまま大人になった、正しいロックミュージシャンであって、一番ロックに相応しい大人たち」である。
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by hirowilbury | 2012-03-04 14:43 | 音楽