よく夢を見る。
そして、夢を見るのが好きで、なので、曲のタイトルに「夢」と付くと、他人事とは思えなくなって、聴きたくなってしまう。
おそらく数え切れないくらいあるだろう、「夢」とタイトルの付く楽曲。
蛇足だけれど、昔、シーナ&ロケッツの「YOU MAY DREAM」という曲は、タイトル自身が、一つの洒落である。
そういうのって、好きです(笑)
小学1年の時、YMOと同じレコード会社だったから、好きでした。シーナ&ロケッツ。
学校に彼らを知っている子は一人もいなかったけどね(苦笑)。
子供ながらに「♪それが私の~」ってところで転調する所が、大好きでした。
↓シーナ&ロケッツ「YOU MAY DREAM」
http://www.youtube.com/watch?v=R8i0q8OI9i4&feature=related

夢を見るというのは、眠り浅い、なんていう人もいるのだけれど、よく分らない。
夢に関して色々な本を読んだりしたけれど、やっぱりよくわからない。
しかし、見る夢の内容とその時の精神状態は連動している事が多いみたい。
夢占いだとか、予知夢なんていうのもある。

小生は昔から「夢ノート」というのを書いている。
どういうものかというと、名前の通りその日に見た夢をノートに一気に書きとめる。
しかし、少し時間が経ってしまうと、思い出そうとしても断片しか思い出せなくて、その断片も時間が経てば忘れてしまう。

なので、起きるとすぐに覚えているままに記録する。
いつも枕元にノートを一冊置いていて、断片だろうが何だろうが、すぐに書く。

小生は小学3年生から始めていた。中学、高校を卒業して、就職したからも4年ほど続けていた。
少しストップしていたのだけれど、また数年前から記録を再開した。

すると、やっぱり不思議なことがよく起きる。
まず、ノートに書いている時は勿論覚えているのだけれど、日が経つと、そのノートに書いている内容でさえも、そんな夢は見ていないような気がしてくる。
記録したノートを見返してみても、実際にそんな夢を見たかな??というその夢自体を否定するような、記憶喪失になっているような時がある。

しかし、忘れていても、その夢は、数年経ってからいきなり「現実」として自分の前に現れることがある。
いわゆる予知夢、「デジャ・ヴ」というやつになるのかな。
その光景を何処かで見たことがある、ああ、夢であったぞ、こんな場面、というものである。

昔からママス&パパスは好きで、ベタだけれど「カリフォルニア・ドリーミング」という曲が大好きである。
↓「CALIFORNIA DREAMIN'」。邦題は「夢のカリフォルニア」。(スマホでは見れないかも。パソコンからなら閲覧OK)
http://www.youtube.com/watch?v=N-aK6JnyFmk&feature=related

この曲が入ったアルバムを入手したのは小生が中学1年の春だったと思う。
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はっきり覚えてないのだけれど、当時見た夢の中にこの曲が流れて、それでそのメロディだけが頭の中をぐるぐる回っていて、少ししてから突然この曲の事を思い出して、レコード屋さんに走って行って購入した。

ママス&パパスは、ジョン・フィリップス(2001年没)、デニー・ドーハティ(2007年没)の男子2名と、キャス・エリオット(1974年没)、ミッシャル・ギリアムの女子2名の男女混成4人組である。
美しいハーモニーで人気だったのだけれど、グループ内の男女関係は結構ドロドロしちゃったみたいね。
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しかし、小生にとってはそんなことはどうでもよくて、このコーラス・バンドが大好きで、この「夢のカリフォルニア」が入ったファーストアルバム、「IF YOU CAN BELIEVE YOUR EYES AND EARS」が大好きである。
多感な頃に聞いたというのもあるのだろう、きっと。
全米でNO.1になった「MONDAY MONDAY」、ビートルズのカヴァーでジョンレノンが16歳のときに作っていたという「I CALL YOUR NAME」のアレンジも斬新だし、「YOU BABY」のアレンジも小生は大好きである。止めは「CALIFORNIA DREAMIN」と言うことになるけれど、アルバム全体の完成度も高い。ここまで凝ったアレンジが出来たのは、ジョン・フィリップスの才能だろうな、きっと。キャス・エリオットのヴォーカルも大好きだけどね。
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1966年頃のアメリカ、カリフォルニアの雰囲気がよく伝わってくるアルバムである。
それまで1964年にビートルズが全米デビューして英国勢に押されっぱなしだった米国勢の中でも抜きん出た人気だったのが彼らで、1967年のモンタレーにはトリを務めている。このとき、ジャニス・ジョプリンや、ジミ・ヘン、ザ・フーなんかに美味しい所を持っていかれて、しかも彼ら自身の演奏も散々で、そのあたり不運な感じもあるのだけれど。
↓1967年「モンタレー・ロック・フェスティバル」より。
http://www.youtube.com/watch?v=CIrUwZmueJE

昨日見た夢に、彼らが歌っているスタジオに修学旅行に行く、という場面があった。
簡単に書いておくと、何故か奈良の阪奈道路をぞろぞろと歩いて、当日泊まる宿舎に向ってる。
何故か宿舎に着いたら会議をやっていて、いきなり「hiroさん、ちょんぼしましたね」と誰かに言われて、罰則として貴方はママス&パパスのスタジオにはいけません、と言われる。
仕方が無いので、一人で山の中を歩いていると、ママス&パパスのキャス・エリオットに会って英語で話をされる。
何を言っているのか分らないのだけれど、しかし、彼女に付いて行くと学校の教室に着いて、そこでママス&パパスのコンサートが始まる。
そこで「夢のカリフォルニア」を聴いた。

こういう風に、夢で見て夢が題名になった曲を聴きなおす、というのも中々乙なものである。
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なお、もし興味ある方は、ママス&パパスに関しての詳細はスペースの関係上wikipediaとかで調べてみてください。
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by hirowilbury | 2012-04-22 22:37 | 音楽

小生が住んでいた故郷には、街のレコード屋さんはあったけれどそこには当然輸入盤なんて置いてなくて、1年に1回程度、街のデパートの催し物会場にやってくる大阪のレコード屋が中古の輸入盤を販売していて1週間位するとまた大阪へ帰っていく、という程度だった。

今と違って、輸入盤は日本盤よりも高くて、とても小学生の貯めたお小遣いでは買えなかった。
ビートルズの日本盤では見たことのないジャケットのレコードを見つけても、眺めるだけで買えなかった。

↓通常のビートルズ「ア・ハード・デイズ・ナイト」
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催し物会場に来ている期間は限られているので、1週間もすると大阪に帰ってしまう。
そこに通っては、毎日ジャケットを眺めていた。
明日には売れてしまってもう無いかもしれない。
欲しいけれど、しかし、高くて買えない。
仕方なく、ジャケットを頭に焼け付けて帰っていく。
そんな毎日が続いた事があった。

「ア・ハード・デイズ・ナイト」のアメリカ盤は、今発売されている青色のジャケットに4人の連写写真がレイアウトされているものと違って、ジャケットは赤色で連写の写真から4人の写真を1枚ずつレイアウトしたものだった。
収録曲も全く違って、いつか手に入れようと夢見ていた一枚。
なので、後になって入手したときは、涙が出るほど嬉しかった。
これは高校生になって大阪に出向いて新品で入手したのだけれど、今でも日本では発売された事はないし、勿論公式にCDにもなっていない。
↓米国盤「ア・ハード・デイズ・ナイト」。80年代の再発盤かな?
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今普通に発売されている英国盤仕様はビートルズのオリジナルが13曲入っているけれど、アメリカ盤は映画の挿入歌7曲にプラスして、映画で使用されたジョージ・マーティン・オーケストラによるBGMも収録されていた。
しかも「アイル・クライ・インステッド」は通常とは違うロング・ヴァージョン、「アンド・アイ・ラブ・ハー」はポールの歌がシングル・トラックになっていて非常にかっこよくて、当時入手したときは毎日聴いていた。
↓米国盤のジャケ裏面。ビートルズの曲の合間にインストが挟み込まれている。
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映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」はおそらく、今までに何百回と見ている。
数えたことは無いけれど、字幕のない映像を見ても、4人の会話とか何を喋っているのか分るくらい。
そして前にも書いたことがあるけれど、ビートルズの映画の中では一番好きな映画である。
当時のビートルズに実際に起こっていたことを映画化したものであって、本当に毎日かれらはこういう毎日を過ごしていたのである。
そして、よく知られているように、この映画はモノクロである。
ビートルズにはモノクロが良く似合う。次の映画「ヘルプ!」はカラーで、非常に面白い映画ではあるけれど、最初に見たこのモノクロのイメージが小生のビートルズのイメージであって、それは今でも変わらない。
↓映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」DVD。昨年買いなおし。なお、邦題の「ビートルズがやってくる ヤアヤアヤア」と名づけたのはあの水野晴雄である。
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なんといっても、4人が走りまわっている。
「♪キャント・バイ・ミー・ラヴ」が流れて、空き地を4人が走り回っている場面が好きだ。
これは後にモンキーズなんかにも影響を与えて、更にその後のプロモーションビデオの走りにもなったものである。
最初は4人で走り回っているのに、最後空き地の管理人に「人の空き地に勝手に入りやがって!」と注意されて、渋々引き上げていくメンバーが3人しかいないのは、この場面の撮影のときだけ、ジョンがいなかったから。
こういうビートルズ映画でのトリビア、撮影秘話ならいくらでも話することが出来る。

↓「CAN'T BUY ME LOVE」
http://www.youtube.com/watch?v=Lkk-tspdZl8&feature=relmfu

4人の演奏する場面が好きだ。
向って右がジョンで、少し蟹股気味で、ギターをかき鳴らしてシャウトする。
向って左側でポールとジョージがコーラスをつける。
間からはしっかりドラマーのリンゴの姿も見える。
そしてポールは左利きだから、ジョージと、そしてジョンとのギターネックのコントラストが絶妙で美しい。
この演奏場面のエキストラの観客の中に、幼い頃のフィル・コリンズがいたことは有名な話である。

↓「TELL ME WHY~IF I FELL~I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」
http://www.youtube.com/watch?v=d-H7Ug8KNVk&feature=relmfu

映画の中で、リンゴが1人で街を歩き回る場面が好きだ。
他の3人としっくり行かなくて、少し拗ねて。
そしてリンゴが、見知らぬ少年と出会って、川に石を投げている場面が好きだ。
スターになってしまった彼は、普通の20代の青春を過ごしたかったのだろう、きっと。
映画の中の演出ではあるけれど、ここの場面は彼らの本心が描かれている気がする。
その場面で流れるのが「RINGO THEME」(ジョージ・マーティン・オーケストラによる「♪THIS BOY」のインストルメンタル)で、この曲が大好きなのである。

↓BGM「THIS BOY」
http://www.youtube.com/watch?v=GIvEc4yhdpM

こういう風に、この映画を見たのは親戚の義兄の家で、小学4年のときだったけれど、終わった後もエンディングが流れた終わったテレビ画面をずっと見つめていた。
もう、自分には今まで集めたプロ野球のカードも、虫かごも、虫取りの網もいらない、と思った。

今ではこのレコードだけで何枚あるだろう。
レコード棚を探してみると、ロシア盤とか、親父の形見である日本オリジナルジャケットのこのアルバムもあった。米国盤以外は、曲目も同じ。あ、CDも3枚ありました(笑)
↓旧ロシア盤「ア・ハード・デイズ・ナイト」ロシア文字でジャケットにビートルズのの文字。
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↓1964年当時、日本盤はこのジャケットでした。これは70年代の再発盤で76年まで日本はこれ。いわゆる親父の形見。これを繰り返し繰り返し聴いてました。
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↓集めてみるとこれだけありました(苦笑)。
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と、最初の出だしのレコード屋さんの話で、エルビス・コステロの記事にしようとしたのだけれど、話が見事にビートルズになってしまった(笑)。
話の流れとしては、「結局、その大阪からやって来ていた出張輸入レコード屋さんで初めて購入した輸入盤は中学1年の時、エルビス・コステロの1st「MY AIM IS TRUE」だった」という話に持って行って、昨日届いたコステロの最新ライヴアルバムの感想を書きたかったのだけれど。。。
当時、ビートルズのレコードを買えないのに眺めていた想いでの方が勝っちゃったみたい(笑)。

折角なので少しそれに触れておくと、今回のコステロのライヴアルバムは、ライヴの時ステージにルーレットを置き都度ルーレットを回して、矢が刺さった所の曲を演奏する、という変わったライヴステージでのアルバム。なのでどの曲を演奏することになるのか、運任せである。
中にはニック・ロウの「ハート・オブ・シティ」なんか演奏していて、聴いていて嬉しくなってしまう。
ストーンズの「アウト・オブ・タイム」も嬉しい。
↓コステロの最新ライヴアルバム。これをレビューするつもりでした(苦笑)。
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90年代のコステロは後半から少しジャズやクラシックなんかに走って小生なんぞ少し不満だったのだけれど、2000年代になってまた少し昔のコステロ・サウンドに戻ってきている。
08年のアルバム「momofuku」なんて凄く良かったし。
このライヴアルバムも、何度か繰り返し聞いたけれど、非常にコステロも力が入っていて、でもどこか達観したようなところがあって、非常に素晴らしいものだった。

コステロにはまた、こういう風にギターをかき鳴らして、自身のバンドと共に走っていって欲しい。
↓初期のコステロ。一番左が小生人生初の輸入盤「MY AIM IS TRUE」。ジャケがかっくいい。ってか英国盤はジャケにコーティングされているものが多く綺麗。真ん中の「GET HAPPY!」のみ日本盤。
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少し文章がバラバラになっちゃいました(苦笑)。
うー、不覚(泣)。
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by hirowilbury | 2012-04-11 22:00 | 音楽

清志郎が亡くなってから、5月で3年になる。
しかし、その間に未発表アルバム「BABY#1」が出たり、昨年は自身が生前に企画して選曲までしていたという「sings soul ballads」が出たりしていたので、3年も経ったという気がしない。
勿論、小生自身が彼の生前と変わらないくらい、普段からRCや清志郎のアルバムを聴いているということもあるのだろう、きっと。
↓昨年出た「sings soul ballads」
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RCのデビューは1970年である。
RCを好きな人なら知っていると思うけれど、RCというのは「The Remainders of Clover (リメインダーズ・オブ・クローバー)」の略であって、デビュー当時からすでにグラム・ロック、デヴィッド・ボウイみたいにメイクをして「雨上がりの夜空に」を歌っていた訳ではなくて、いわゆる「ハード・フォーク・トリオ」として3人組でデビューしている。フォークだったのだ、デビュー当時は。しかし、かぐや姫とか、そこらへんのフォークとは訳が違う。小生から言わせると、あれは歌謡曲。
少なくともフォークギターで「ロック」を歌えて、演奏できるグループをRC以外、小生は他に知らない。

メンバーは清志郎が歌、ギター、林小和生が歌とウッド・ベース、破廉ケンチが歌、リード・ギターという構成だった。3人とも1951年生まれだから、この時19歳。
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基本的に作詞作曲は清志郎なのだけれど、アルバムの中にはバランスよく3人の作品がブレンドされていて、それを他のメンバーがアレンジをしたり、歌を歌ったり、という形を取っていた。
清志郎は肝沢幅一というペンネームで名前を変えてクレジットされていたりする。
この名前は清志郎の父親が、沢田研二の名前をいつも間違えて「肝沢幅一」と言っていたのでそれをペンネームにしたらしい。
ペンネームを使うことは今では珍しくないのだけれど、当時はあまりなかったのではないだろうか。分らないのが、曲によって作者の名前を変えているところである。
今でもその意図を考えたりするのだけれど、未だにわからない。

「宝くじは買わない」でデビューして、その後「僕の好きな先生」でヒットを飛ばすのだけれど、その後が泣かず飛ばず。時代の先を行き過ぎていたのだろう、ここまででアルバムも2枚出したのだけれど、RCはマネジメントのトラブルに巻き込まれて、活動を停止せざる終えない状況になってしまう。

↓デビュー曲「宝くじは買わない」。当時(1994年)この映像観て泣きました。
 清志郎&チャボのデュオ。オリジナルの歌詞は♪400万円が当っても~ですが、
 変えてますね。♪1億4000万円が~って(笑)。
 それを聴いたチャボの表情が最高です。
 この曲を聴いて、小生は宝くじは買わないことを心に決めました。
 (しかし清志郎は毎回買ってたらしい・・・うそつき・・笑)

http://www.youtube.com/watch?v=7CnGsKTHtNw&feature=related

この辺り、書き始めると止まらなくなってしまうので、ここでは割愛するけれど、1971年に1stアルバム「初期のRCサクセション」、1972年に2ndアルバム「楽しい夕(ゆうべ)に」を出した。1stアルバムのタイトルが1枚目なのに、既にこうなっているのも清志郎らしくて微笑ましい。
将来大物になって、1stアルバムを振り返ったときに、こういうタイトルが付いていれば分りやすい、という事で付けたのかもしれない。
↓「初期のRCサクセション」1stアルバム。
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ただ1stアルバムは、レコード会社が勝手に演奏を追加して録音したりして彼らの思うようなレコードにはならなかったらしく、2枚目以降は自身でプロデュースすることを決意する。
確かに1stアルバムは、決まるべく所に音がなかったり、不要なところに余計なブラスの音が入ったりしていて、その辺2ndアルバムではしっかり改善されている。
↓「楽しい夕(ゆうべ)に」2ndアルバム。
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当時は、あの三浦友和がRCのメンバーだったなんて言っても誰も信じないだろうけど、実際、1stアルバムではボンゴで参加していたりする。
清志郎は何かのインタビューで「三浦友和にギターを教えたのは俺だ」と発言していた。
↓貴重なRC&三浦友和の写真。一番左が三浦友和(当時の名前は三浦 稔)
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2ndを出した後、3rdアルバムの制作に入って一旦完成、発売したのだけれど、事務所のトラブルが発生して発売中止になってしまう。
当時RCは井上陽水同じ事務所、マネジメントに所属していたのだけれど、マネジメント側が当時売れてきた陽水を引き抜いて別事務所を設立、引き抜いたマネジメントの秘蔵っ子だったRCに、前事務所がその恨みをぶつけた。彼らは移籍が許されず、実質仕事も与えられずに飼い殺し状態になってしまう。契約が切れたときに、再度陽水と同じ事務所に移籍するのだけれど。

事務所を移ってから、以前一度発売になった3rdアルバムを再発売したのだけれど、またすぐに廃盤になってしまう。そしてようやく3rd「シングル・マン」が出るのは1976年であって、完成から2年が経っていた。それも、ファンからの発売署名などで再発売された経緯がある。
とにかく、この時期のRCはいわゆる「暗黒時代」。ファンの間では「福住時代」と呼ばれている時代である。

それから地道に井上陽水、矢沢永吉なんかの前座なんかでライヴ活動を行なう。
清志郎が例えば矢沢永吉の前座で出てきて「こんばん~矢沢B吉です。永ちゃんは楽屋でう〇こしてま~す」なんて事を発したりして、矢沢ファンから罵声を浴びたりしたらしい。
しかし、RCは悔しい思いをしながらも、バンドもエレキ化しながら仕事をこなしていった。
その間にオリジナルメンバーだった破廉ケンチがエレキが弾弾けない、という理由でノイローゼになってしまい、脱退、そこでチャボが加入したのである。

小生は勿論、チャボが加入して、メイクしてロックン・ソウル(と、小生は勝手に名づけている)ガッタガッタガッタと歌う清志郎も大好きであって、アルバム「ラプソディ」や「プリーズ」、そして、高校2年のときの1990年に出た「BABY A GO GO」も堪能した。これが結局RCとしてはラストになってしまうのだけれど。
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しかし、よくプレーヤーに乗るアルバムは、この初期の2枚であって、ここでの清志郎の作る歌、そして歌っている清志郎は神懸っている。
なんなのだろう、このフォーク・ギターで歌われるロックは。
おそらく、当時一世を風靡していたザ・バンドからの影響も大きいのだろう、2ndの「もっとおちついて」なんかは、思いっきりザ・バンドである。
ある意味、前期の方がロックであって、歌詞だって清志郎の魂が乗り移っている。
「2時間35分」、「僕の自転車のうしろに乗りなよ」、「九月になったのに」、「シュー」なんかを聞いていると、ロックを好きになって良かったなあ、と思う。
「九月になったのに」を聴くと、小生と同じく清志郎は夏が嫌いなのだな、なんて思ったりして嬉しくなってしまう。
清志郎らしいのは、1stに「この世は金さ」と「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」が連続して収録されているところだろう。

そういう風に初期にも名曲が多いのだけれど、小生が彼らの曲で一番好きなのは2ndに入っている「忙しすぎたから」。
中学1年のときにこの2ndを入手して、それから必ず外出する時、当時はカセット、そして今ではネットワーク・ウォークマンに必ず入っていて持ち出している1曲。

小生が過ごした中学~高校時代の夏休みの夕暮れに感じていた感情、まったく同じ感情を歌ってくれている歌は、今まで聞いた中でこれだけである。
今まで聞いた人生の中で小生のダイアモンドになっている曲はズバリ、この曲である。
94年に清志郎とチャボ(仲井戸麗市)がデュオで復活して「グラッド・オール・オーヴァー・ツアー」のアコースティックコーナーで、チャボのボーカルでこの曲が歌われた時は、涙が出た。
↓1994年の購入した「グラッド・オーヴァー・ツアー」のレーザーディスク(LD)とCD。
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"忙しすぎたから"
作詩:林小和生 作曲:肝沢幅一(忌野清志郎)

楽しい夕(ゆうべ)に ぼくの友達は
ゴキブリと一緒に 昼寝をするのさ

夏が攻めてきて むし暑い毎日でも
夕方になれば とても涼しい

昼間のうちに 宿題を片づけて
眼鏡を外して 星を見るのさ

手紙の返事を 書くのが忙しくて
封筒を買いに 行く暇もない

このごろはだれも 口をきいてくれないから
ぼくはさみしくて 気が狂いそう

夏が終わって ゴキブリが死んだら
もっといい友達に 会えるかもしれない


↓「忙しすぎたから」/ RCサクセション(1972年のライヴ音源)
http://www.youtube.com/watch?v=KroQBr6mYWA

↓初期のRC。「2時間35分」は名曲。ちゃんと2分35秒で演奏が終了している所が泣ける
http://www.youtube.com/watch?v=7aSEetyWAWo&feature=related

↓名曲「僕の自転車のうしろに乗りなよ
http://www.youtube.com/watch?v=eMKHDdmM0KE&feature=relmfu

↓清志郎節炸裂!「3番目に大事なもの」
http://www.youtube.com/watch?v=yrdWYq3fhyg&feature=relmfu

まだまだRCに関しては語ろうと思えば語れるのだけれど、書き始めると止まらない。
「雨上がりの夜空に」は、清志郎が当時乗っていたポンコツ車「サニークーペ」を題材にした歌で、既にこの頃原型が書かれていたらしい。
しかも、そのサニークーペを購入した資金は、当時大ブレイクしていた井上陽水に曲を提供してその曲で入ってくる印税で購入したもの。
余談だけれど、この話を知って小生も「DEAR BLUE BIRD」という、小生が最初に手に入れたオンボロ中古車を題材にした曲を書いたことがある。
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これからも、RC、清志郎、チャボのアルバムが出たら遠い友達から手紙が来たような感覚で聴き続けていくのだろうな、きっと。
しかし、もう3年か。
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by hirowilbury | 2012-04-05 22:00 | 音楽

しばらく前に道頓堀の戎橋辺りをウロウロしていた。
昔とちがってかなり様相が変わってしまったのだけれど、心斎橋の商店街から戎橋を渡るときに、
「♪メダグル、イズイッチュ」となんとなく口ずさんだ。
それで気がついたのだけれど、小生がこの橋を渡るときはいつも何故かT-REXの歌を鼻歌で歌っていたりする。今思えばいつもそうであって、これはどういうことなのだろう。
↓「metal guru」/ T-REX
http://www.youtube.com/watch?v=dIwITUNmflY&feature=related

この前に通った時も、何も意識していないのに「♪アイルダンスティミッナイ」なんてやっぱりやっていた。
どうもあの橋の下に、マーク・ボランがぶら下がっているような気がしてきた。
今度戎橋を通る時は、こっそり気をつけてよく見ておこう。
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空想している状況設定としては、
①小生がトラックの荷台に載って「今日も良い天気だなあ」と言って、タバコを吸いながら戎橋の下にやってくる。(今は実際、下なんてないけどね)
②それで、ひょいと上を見上げると、マーク・ボランがあのギンギンギラギラの格好で、しかもレスポールのギターまでぶら下げて、足をブラブラして橋の下にぶら下がっている。

そこで小生は一体どんな気分になるのだろう。
いや、ちっとも不思議じゃない。うん、驚かないよ、きっと。

③そこで小生はトラックの荷台から降りて、タバコを吸いながらじっとそこに立って彼を見上げて見ているいるだろう。
④暫くすると、マーク・ボランはぶら下がっている橋の下から力尽きて落っこちてきて、尻餅をつくだろう。
⑤彼は立ち上がって、服の汚れなんかを掃いながら「痛てえなあ、もう」かなんかブツブツ言う。
⑥そして彼は立ち上がって、そこに立っている小生の方をジロッと見て、「見世物じゃねえぞ」と言って何処かへ行ってしまう。
⑦そうすると小生は、なぜ橋の下なんかで、1人立っているのか分んなくなって、たぶん1人で泣き出してしまうだろう。
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小生は普段から彼の歌をよく口ずさむ。
メロディーが単純だし、詩も構成も良くまとまっていて、簡単で覚えやすいからだろう。
ともかく一行の詩の言葉の繋がりが良く出来ている。
そして、決まる一行が、必殺の一行が、どの曲にも必ずある。裏を返せばどの曲も、一行しか決まっていない。「ジプシー・スター」、「ザ・グルーパー」あたりまで、全てそうである。
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「20世紀の少年」を例にしてみると、
  ”20th century toy , I wanna be your boy.
   20th century boy, I wanna be your toy.”
この行だけである。ここをしつこくリフレインしている。この曲では3分40秒の内、ここだけを聴けばいいのである。1曲について、言いたい事が1つだけというのは、非常に理想的だと思う。
まわりくどくなくて、すっきりしている。
ただ、マーク・ボランはその1行を決めるための手順や、説明を全部省いている。
リフレインの1行だけを決めればいいのだ。で、突然曲のクライマックスがやってくる。

↓「20th century boy」/ T-REX
http://www.youtube.com/watch?v=qpmU4xnmxlQ

リフレインというのは魔術の一つだ。振り子の揺れているのを見せされているように、同じ事をずっとくり返されていると、なんかその気になってしまう。
同じような手法を使う人に、ポール・マッカートニーがいる。「バンド・オン・ザ・ラン」も同じ手法である。
T-レックス、つまりマーク・ボランの場合、リフレインだけではなくて、曲までみんな似ているから、やっぱりあれは魔術だな、きっと。
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T-レックスが70年代に来日したとき、客のノリが悪かったので、マーク・ボランが「たががロックン。ロールじゃあないか。気楽に乗れよ。」と言ったそうである。
彼の詩は、その殆どが自己紹介の歌である。
彼の言いたい事は、つまりさっきの「20世紀の少年」なのではなかったのだろうか?
 ”僕は今世紀最大のおもちゃなんだ
  好きなように遊んでもらいたいのさ”
                (from「20th century boy」)
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by hirowilbury | 2012-04-01 13:06 | 音楽