2012年 04月 05日
忌野清志郎の魂「リメインダーズ・オブ・クローバー・サクセション」
しかし、その間に未発表アルバム「BABY#1」が出たり、昨年は自身が生前に企画して選曲までしていたという「sings soul ballads」が出たりしていたので、3年も経ったという気がしない。
勿論、小生自身が彼の生前と変わらないくらい、普段からRCや清志郎のアルバムを聴いているということもあるのだろう、きっと。
↓昨年出た「sings soul ballads」
RCのデビューは1970年である。
RCを好きな人なら知っていると思うけれど、RCというのは「The Remainders of Clover (リメインダーズ・オブ・クローバー)」の略であって、デビュー当時からすでにグラム・ロック、デヴィッド・ボウイみたいにメイクをして「雨上がりの夜空に」を歌っていた訳ではなくて、いわゆる「ハード・フォーク・トリオ」として3人組でデビューしている。フォークだったのだ、デビュー当時は。しかし、かぐや姫とか、そこらへんのフォークとは訳が違う。小生から言わせると、あれは歌謡曲。
少なくともフォークギターで「ロック」を歌えて、演奏できるグループをRC以外、小生は他に知らない。
メンバーは清志郎が歌、ギター、林小和生が歌とウッド・ベース、破廉ケンチが歌、リード・ギターという構成だった。3人とも1951年生まれだから、この時19歳。
基本的に作詞作曲は清志郎なのだけれど、アルバムの中にはバランスよく3人の作品がブレンドされていて、それを他のメンバーがアレンジをしたり、歌を歌ったり、という形を取っていた。
清志郎は肝沢幅一というペンネームで名前を変えてクレジットされていたりする。
この名前は清志郎の父親が、沢田研二の名前をいつも間違えて「肝沢幅一」と言っていたのでそれをペンネームにしたらしい。
ペンネームを使うことは今では珍しくないのだけれど、当時はあまりなかったのではないだろうか。分らないのが、曲によって作者の名前を変えているところである。
今でもその意図を考えたりするのだけれど、未だにわからない。
「宝くじは買わない」でデビューして、その後「僕の好きな先生」でヒットを飛ばすのだけれど、その後が泣かず飛ばず。時代の先を行き過ぎていたのだろう、ここまででアルバムも2枚出したのだけれど、RCはマネジメントのトラブルに巻き込まれて、活動を停止せざる終えない状況になってしまう。
↓デビュー曲「宝くじは買わない」。当時(1994年)この映像観て泣きました。
清志郎&チャボのデュオ。オリジナルの歌詞は♪400万円が当っても~ですが、
変えてますね。♪1億4000万円が~って(笑)。
それを聴いたチャボの表情が最高です。
この曲を聴いて、小生は宝くじは買わないことを心に決めました。
(しかし清志郎は毎回買ってたらしい・・・うそつき・・笑)
http://www.youtube.com/watch?v=7CnGsKTHtNw&feature=related
この辺り、書き始めると止まらなくなってしまうので、ここでは割愛するけれど、1971年に1stアルバム「初期のRCサクセション」、1972年に2ndアルバム「楽しい夕(ゆうべ)に」を出した。1stアルバムのタイトルが1枚目なのに、既にこうなっているのも清志郎らしくて微笑ましい。
将来大物になって、1stアルバムを振り返ったときに、こういうタイトルが付いていれば分りやすい、という事で付けたのかもしれない。
↓「初期のRCサクセション」1stアルバム。
ただ1stアルバムは、レコード会社が勝手に演奏を追加して録音したりして彼らの思うようなレコードにはならなかったらしく、2枚目以降は自身でプロデュースすることを決意する。
確かに1stアルバムは、決まるべく所に音がなかったり、不要なところに余計なブラスの音が入ったりしていて、その辺2ndアルバムではしっかり改善されている。
↓「楽しい夕(ゆうべ)に」2ndアルバム。
当時は、あの三浦友和がRCのメンバーだったなんて言っても誰も信じないだろうけど、実際、1stアルバムではボンゴで参加していたりする。
清志郎は何かのインタビューで「三浦友和にギターを教えたのは俺だ」と発言していた。
↓貴重なRC&三浦友和の写真。一番左が三浦友和(当時の名前は三浦 稔)
2ndを出した後、3rdアルバムの制作に入って一旦完成、発売したのだけれど、事務所のトラブルが発生して発売中止になってしまう。
当時RCは井上陽水同じ事務所、マネジメントに所属していたのだけれど、マネジメント側が当時売れてきた陽水を引き抜いて別事務所を設立、引き抜いたマネジメントの秘蔵っ子だったRCに、前事務所がその恨みをぶつけた。彼らは移籍が許されず、実質仕事も与えられずに飼い殺し状態になってしまう。契約が切れたときに、再度陽水と同じ事務所に移籍するのだけれど。
事務所を移ってから、以前一度発売になった3rdアルバムを再発売したのだけれど、またすぐに廃盤になってしまう。そしてようやく3rd「シングル・マン」が出るのは1976年であって、完成から2年が経っていた。それも、ファンからの発売署名などで再発売された経緯がある。
とにかく、この時期のRCはいわゆる「暗黒時代」。ファンの間では「福住時代」と呼ばれている時代である。
それから地道に井上陽水、矢沢永吉なんかの前座なんかでライヴ活動を行なう。
清志郎が例えば矢沢永吉の前座で出てきて「こんばん~矢沢B吉です。永ちゃんは楽屋でう〇こしてま~す」なんて事を発したりして、矢沢ファンから罵声を浴びたりしたらしい。
しかし、RCは悔しい思いをしながらも、バンドもエレキ化しながら仕事をこなしていった。
その間にオリジナルメンバーだった破廉ケンチがエレキが弾弾けない、という理由でノイローゼになってしまい、脱退、そこでチャボが加入したのである。
小生は勿論、チャボが加入して、メイクしてロックン・ソウル(と、小生は勝手に名づけている)ガッタガッタガッタと歌う清志郎も大好きであって、アルバム「ラプソディ」や「プリーズ」、そして、高校2年のときの1990年に出た「BABY A GO GO」も堪能した。これが結局RCとしてはラストになってしまうのだけれど。
しかし、よくプレーヤーに乗るアルバムは、この初期の2枚であって、ここでの清志郎の作る歌、そして歌っている清志郎は神懸っている。
なんなのだろう、このフォーク・ギターで歌われるロックは。
おそらく、当時一世を風靡していたザ・バンドからの影響も大きいのだろう、2ndの「もっとおちついて」なんかは、思いっきりザ・バンドである。
ある意味、前期の方がロックであって、歌詞だって清志郎の魂が乗り移っている。
「2時間35分」、「僕の自転車のうしろに乗りなよ」、「九月になったのに」、「シュー」なんかを聞いていると、ロックを好きになって良かったなあ、と思う。
「九月になったのに」を聴くと、小生と同じく清志郎は夏が嫌いなのだな、なんて思ったりして嬉しくなってしまう。
清志郎らしいのは、1stに「この世は金さ」と「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」が連続して収録されているところだろう。
そういう風に初期にも名曲が多いのだけれど、小生が彼らの曲で一番好きなのは2ndに入っている「忙しすぎたから」。
中学1年のときにこの2ndを入手して、それから必ず外出する時、当時はカセット、そして今ではネットワーク・ウォークマンに必ず入っていて持ち出している1曲。
小生が過ごした中学~高校時代の夏休みの夕暮れに感じていた感情、まったく同じ感情を歌ってくれている歌は、今まで聞いた中でこれだけである。
今まで聞いた人生の中で小生のダイアモンドになっている曲はズバリ、この曲である。
94年に清志郎とチャボ(仲井戸麗市)がデュオで復活して「グラッド・オール・オーヴァー・ツアー」のアコースティックコーナーで、チャボのボーカルでこの曲が歌われた時は、涙が出た。
↓1994年の購入した「グラッド・オーヴァー・ツアー」のレーザーディスク(LD)とCD。
"忙しすぎたから"
作詩:林小和生 作曲:肝沢幅一(忌野清志郎)
楽しい夕(ゆうべ)に ぼくの友達は
ゴキブリと一緒に 昼寝をするのさ
夏が攻めてきて むし暑い毎日でも
夕方になれば とても涼しい
昼間のうちに 宿題を片づけて
眼鏡を外して 星を見るのさ
手紙の返事を 書くのが忙しくて
封筒を買いに 行く暇もない
このごろはだれも 口をきいてくれないから
ぼくはさみしくて 気が狂いそう
夏が終わって ゴキブリが死んだら
もっといい友達に 会えるかもしれない
↓「忙しすぎたから」/ RCサクセション(1972年のライヴ音源)
http://www.youtube.com/watch?v=KroQBr6mYWA
↓初期のRC。「2時間35分」は名曲。ちゃんと2分35秒で演奏が終了している所が泣ける
http://www.youtube.com/watch?v=7aSEetyWAWo&feature=related
↓名曲「僕の自転車のうしろに乗りなよ
http://www.youtube.com/watch?v=eMKHDdmM0KE&feature=relmfu
↓清志郎節炸裂!「3番目に大事なもの」
http://www.youtube.com/watch?v=yrdWYq3fhyg&feature=relmfu
まだまだRCに関しては語ろうと思えば語れるのだけれど、書き始めると止まらない。
「雨上がりの夜空に」は、清志郎が当時乗っていたポンコツ車「サニークーペ」を題材にした歌で、既にこの頃原型が書かれていたらしい。
しかも、そのサニークーペを購入した資金は、当時大ブレイクしていた井上陽水に曲を提供してその曲で入ってくる印税で購入したもの。
余談だけれど、この話を知って小生も「DEAR BLUE BIRD」という、小生が最初に手に入れたオンボロ中古車を題材にした曲を書いたことがある。
これからも、RC、清志郎、チャボのアルバムが出たら遠い友達から手紙が来たような感覚で聴き続けていくのだろうな、きっと。
しかし、もう3年か。
by hirowilbury
| 2012-04-05 22:00
| 音楽