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「私をパールと呼んでちょうだい」ジャニス・ジョプリン

名作や傑作を残して、有名な歌手や作家が亡くなって、しかし遺作となった作品はその後も色々と影響を与え続けて引き継がれて行って、語り継がれていく。
それらの作品は、亡くなった本人が承認の上で発売して行った物なので、問題はない。
しかし、当事者が亡くなった後に発掘されて世に出たレコードというのは、微妙である。
本人が制作中に亡くなってしまった、という場合もあるけれど、それだって本来、最終的なチェックすら本人が行なっていない。
生前の意思を尊重して発売しました、といっても、本当のところ分からないのである。

ジミ・ヘンの「ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン」もそうだし、ジョンの「ミルク・アンドハニー」もそう。数えればキリがない。
もしかして、ビートルズのラスト・アルバムとなっている「レット・イット・ビー」だって、ビートルズが解体していなかったら、発売されていなかったかも知れない。

↓「遺作」と呼ばれるアルバム達。
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ジャニス・ジョプリンのアルバムは昔から良く聴く。
初めて聴いたのは中学3年のとき。
田舎のレコード屋さんには、ジャニスのレコードが一枚もなくて、レコード番号をメモして注文した。
レコード屋さんの店員さんは「中学生でジャニス?年ごまかしてるんちゃう?」と言われました。
はいはい、ごまかしてますごまかしてます、って答えたのを覚えている(笑)。
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最初に入手して聴いたのは遺作になった「PEARL」。
このアルバムの制作中の1970年10月4日ジャニスはホテルの一室で遺体になって発見されている。
今でも色々分らない部分があって、謎の部分があるのだけれど、死因はヘロインの摂取過多と言われている。
片手には4ドル50セントを握り締めていて、おそらくタバコを買うために握っていたのだろう。
ほぼアルバムは完成していて、残すのは「生きながらブルースに葬られ」のヴォーカル入れだけだったという。この曲は結局アルバムに収録されたけれど、ジャニスのボーカルなしのインストで収録されている。

映画「ジャニス」を見ていると、彼女がインタビューで「10年ぶりに高校の同窓会に行く」と発言している。
しかし、高校時代のことを彼女は「友達なんかいなかったし、誰も声をかけてくれなかった。街の笑いものだったわ。」
と発言している。実際に同窓会に行って見ると、有名人が故にサインはねだられる。
しかし、友達もいなくて、誰とも話をせず、話し相手のなっているのはジャニスの妹だけである。
これ以降、一切同窓会には行かなかったそうだ。
↓映画「JANIS」1974年公開。
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スタジオでのリハーサルでも、バンドのメンバーがミーティングをしてる中、1人全く別のことを話している。
話し相手になっているバンドのメンバーも困っているのだけれど、ジャニスはやめない。
そのうち、誰もジャニスを相手にしなくなる。
そして、彼女は拗ねてスタジオを出て行こうとする。
その時、誰かが「ジャニス、行くな」と声をかける。
彼女はニコッと笑って、戻ってくる。
↓映画「ジャニス」からの1シーン。
http://www.youtube.com/watch?v=HesegFuY3pk&feature=related

要するに、誰かに見られていたい、注目されていたい、そしてかまっていて欲しい、ということなのだろう。
これをわがままと取るかどうかは人それぞれだろう。
しかし、小生からするとジャニスの気持ちも分かる。
もう、学生時代に屈辱を受けた自分には戻りたくなかったのだろう。


4月にジャニス・ジョプリンの発掘ものが2つほぼ同じ時期に発売された。

一つは、遺作になった「PEARL」でのセッションをまとめた物で、ビートルズのアンソロジーみたいに1曲が仕上がっていく過程も収録されていて、こういうのはファンとしては嬉しくてたまらないのだけれど、本人が生きていたら出していただろうか?と思ってしまう。
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2枚組になっていて、1枚はオリジナル・アルバムのリマスター、そして、2枚目がセッションを記録したアウト・テイクスである。彼女のアウトテイクスの音を今までも色々聴いてきたけれど、はずれがないのである。
練習だから、と気を抜いている音源は少ない。
没テイクだからといって、オフィシャル音源とも引けを取らない。
今までに発掘されたライヴ音源にしても、ほぼ全ての音源、映像がそうである。
要するに、彼女は歌う事に全てを注いでいたのだろう、きっと。
その中でも、DISC2の「MOVE OVER」を仕上げていくジャニスの歌声は素晴らしい。

↓「MOVE OVER」

http://www.youtube.com/watch?v=YMVPBhf3gMA

そういう意味では、ジャニス・ジョプリンの音源は、本人の意思とは別に例え未完成であっても残していくべき物なのかもしれない。
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そして、2枚目は1968年6月に行なわれたカルーセル・ボールルームでのライヴアルバムである。
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なので、名作「チープ・スリル」の発表直前のライヴ、と言うことになる。
まだこの頃のジャニスは、ビッグ・ブラザー・アンド・ホールディング・カンパニー(以下BBAHC)
をバックに歌っている時期なのだけれど、この後彼らと袂をたって、別のバック・バンドを結成する
ことになる。
↓「CHEAP THRILL」の裏ジャケ
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本人はずっと、BBAHCと組んで歌い続けたかったようだけれど、やはり贔屓目に見てもバック
バンドとしての彼らは、ジャニスとは差が歴然としてしまっている。
非常にジャニス自身、力が入っていて熱が伝わってくるものになっているのだけれど、対照的にBBAHCというバンドの出来は酷くて笑ってしまう。
↓「SUMMERTIME」
http://www.youtube.com/watch?v=mzNEgcqWDG4

音質がスタート時はあまり良くはないのだけれど、徐々に安定していく。
恐らく当時、ライヴアルバム制作を前提に録音されたものなのだろう。

これからも彼女の発掘物は発売されていくものと思われる。
こうなったら、とことん付き合うので、出し惜しみせずに全て出し尽くして欲しい。
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by hirowilbury | 2012-05-05 15:00 | 音楽